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萩 城跡 ①2008年08月25日 09時39分17秒

(click..play) (写真をクリックすると大きくなります) 毛利輝元像
毛利輝元は、1553年(1553天文二十二年) 毛利隆元(たかもと)の長男として 安芸国(今の広島県の一部)の吉田にある 郡山城(こおりやまじょう) に生まれました。  輝元の祖父は、戦国時代に活躍した武将の毛利元就(もとなり) です。 輝元が十歳のときに、父の隆元が亡くなりましたので、祖父の元就の手によって育てられました。  その後、輝元は、織田信長や豊臣秀吉と天下を競うほどの 大大名までに成長しました。 関ヶ原の戦いまでは、 安芸・備後(あき びんご) (今の広島県)、 周防・長門(すおう ながと)、 石見・出雲・隠岐(今の島根県)、 それに備中 (今の岡山県)の半分と 伯耆( ほうき ) (今の烏取県)の半分、合わせて百十二万石もの領地をもっていました。  輝元が萩に城と城下町を築く以前に、広島でも、城と城下町を築いたことは以外に知られていません。 1589年(天正十七年)居城を築かれる前の広島は、五ヶ村とよばれる小さな漁村でした。 広島という地名は、輝元が名付けたものです。

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