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島原城天守閣2009年01月01日 01時00分01秒


かつてここには森岳と言う小山があった。そこへ百万と言う労力と7年の歳月をかけて寛永元(1624)年、島原城を生み出した。この時、北と東を埋め立てて武士屋敷や三会町を造り出し、さらに城下町を整備した。 城郭は南に偏って本丸があり、そこには17間(33㍍)の天守が聳え立つ。北隣に二の丸が廊下橋で結ばれていた。さらに北側に三の丸があって、御殿が置かれた。その外郭は東西360㍍、南北1260㍍。周囲に3900㍍の塀をめぐらせ、要所には大小16の櫓を配置した。その内部に上士屋敷を、外部に下士屋敷を置いた。4万石の大名にしては過分の城であった。 大手御門跡から眺める島原城はすばらしい。青い空に白い五層の天守閣がよく映える堀から15㍍上に矢狭間をもつ瓦葺白壁塀とその上に三層の巽櫓、右手の丑寅櫓と左手の西櫓も見える。その上に五層の白色総塗込みの天守閣が35メートルの高さに聳え立つ。
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