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豊浦山 神上寺 ⑧2009年08月01日 14時40分00秒

(写真をクリックすると大きくなります)菊舎 山鳥のほろゝ身にしむ小春かな 女流文人・菊舎は宝暦三年(1753年)豊浦郡田耕(たすき)村に田上家の長女道(みち)として生まれました。道は一六歳で同村の農家、村田利之助に嫁ぎますが同年、村医者をしていた父由永は長府田上家を継ぐため、長府印内に移住し長府藩士となります。二四歳で夫と死別した道は実家に復籍。長府の五精庵只山(しざん)に菊車の号を与えられ(後、菊舎に改める)俳人としての歩みを始めました。天明元年(1781年)二九歳にして長府を立った菊舎はまず大津郡の八幡人丸神社に参詣し文運を祈り、当時長州の真宗寺院の総元締めだった萩の真宗清光寺で得度を受け俳諧修行の一人旅に出ています。
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女流文人・菊舎は宝暦三年(1753年)豊浦郡田耕(たすき)村に田上家の長女道(みち)として生まれました。道は一六歳で同村の農家、村田利之助に嫁ぎますが同年、村医者をしていた父由永は長府田上家を継ぐため、長府印内に移住し長府藩士となります。二四歳で夫と死別した道は実家に復籍。長府の五精庵只山(しざん)に菊車の号を与えられ(後、菊舎に改める)俳人としての歩みを始めました。天明元年(1781年)二九歳にして長府を立った菊舎はまず大津郡の八幡人丸神社に参詣し文運を祈り、当時長州の真宗寺院の総元締めだった萩の真宗清光寺で得度を受け俳諧修行の一人旅に出ています。

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