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神田川(山口県下関)2010年03月28日 13時43分59秒

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===神田川説明板===
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◇◇◇神田川の歴史◇◇◇  二級河川の神田川は、六万坊山(395.2m)のふもとに源を発し、五毛川や員光川その他を合流して神田川となり、王司と清末の境を流れて周防灘に注いでいます。延長は7~8kmに及び日頃は穏やかで、かんがい用水として流域の耕地を潤しています。昔は川舟によって運送に利用されていたという記録も残っています。安政五年(1858年)正月日付、員光、山田、神田、三ケ村庄屋の市助明細書に「神田川運上銀」のことが誌されています。しかし比の神田川も天保14年、明治37年、大正3年、同13年、昭和17年、同25年、同41年、とたびたびの洪水で大きな災害を起こしました。今では護岸工事や河川改修等により大きな災害は少なくなっています。この公園の上流に架かっていた石橋は、文化8年(1811年)八月に完工しており、石橋としては、規模や構造からも有名橋の一つに数えられていましたが昭和59年一月全面的に改修されて、現在は石橋の欄干の一部が王司側に残してあります。私たちは、ふるさと王司の発展に貢献しているこの神田川を愛するとともに、いつまでも大切にいたしましょう。 ◇◇◇

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◇◇◇神田川の歴史◇◇◇

二級河川の神田川は、六万坊山(395.2m)のふもとに源を発し、五毛川や員光川その他を合流して神田川となり、王司と清末の境を流れて周防灘に注いでいます。延長は7~8kmに及び日頃は穏やかで、かんがい用水として流域の耕地を潤しています。昔は川舟によって運送に利用されていたという記録も残っています。安政五年(1858年)正月日付、員光、山田、神田、三ケ村庄屋の市助明細書に「神田川運上銀」のことが誌されています。しかし比の神田川も天保14年、明治37年、大正3年、同13年、昭和17年、同25年、同41年、とたびたびの洪水で大きな災害を起こしました。今では護岸工事や河川改修等により大きな災害は少なくなっています。この公園の上流に架かっていた石橋は、文化8年(1811年)八月に完工しており、石橋としては、規模や構造からも有名橋の一つに数えられていましたが昭和59年一月全面的に改修されて、現在は石橋の欄干の一部が王司側に残してあります。私たちは、ふるさと王司の発展に貢献しているこの神田川を愛するとともに、いつまでも大切にいたしましょう。

神田川の歴史説明板より


(写真をクリックすると大きくなります)800x600===神田橋欄干===

この神田橋欄干は、文化8年(1811年)八月に完工した当時のものです。、石橋としては、規模や構造からも有名橋の一つに数えられていましたが昭和59年一月全面的に改修されて、現在は石橋の欄干の一部が王司側に残してあります。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===神田橋欄干===
欄干には文化八歳次辛末秋八月と彫られています。
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神田川川岸には毎年地域の皆さんにより手入れされた綺麗な菜の花が見ることができます。
写真をクリックすると大きくなります)800x600 神田川中央付近から旧国道二号線付近を望む。
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写真をクリックすると大きくなります)800x600 神田川沿いに咲き乱れる菜の花。
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神田川には部分的に、このようなヨシがあり、鳥にとっては絶好の休息場所である。丁度アオサギがヨシの前で翼を休めていたのでカメラに収めることが出来ました。アオサギは河川、湖、池沼、湿原、干潟、水田などに多く見ることが出来ます。


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神田川土手に乱れ咲く菜の花。毎年三月初旬に菜の花まつりのイベントが開催されているようです。