ようこそ! あなたは アクセスカウンター 番目のお客様です
今日はです

植松一号古墳(山口県)2011年08月15日 09時41分30秒

(写真をクリックすると大きくなります)===植松一号古墳説明版===

所在地:  山口県下関市菊川町大字吉賀

遺 構:  横穴式石室古墳

形 式:  横穴式古墳   築造年代: 六世紀末~七世紀初頭

(写真をクリックすると大きくなります)===植松一号古墳===
(click..play)

この古墳は、両袖式の横穴式石室を内部主体とする古墳である。現存する石室は、玄室幅約百九十センチ、主軸長約三百七十センチ、高さ百二十センチ余りを測る。奥壁は、幅百八十センチ余りで床面からの高さ百六十センチ弱の大型の石材を立て、その上に上位が大きくせり出すように中型の石材を二~三段に積み上げている。両側壁も一段目は大型の石材を横位置に据え、その上に中型の石材を上位が大きくせり出すように五~六段に積み上げ、天井の幅は約六十センチを測るのみである。玄室正面の中央に開く玄門は、幅約七十センチ、高さ百十余センチであるが、埋積土を除けば更に高いと見られる。現門前の茨道は、墳丘等が大きく改変されているため、現状では短いが、先に調査された植松四~七号古墳の知見からみて、更に延びていたことは確かである。この古墳が築かれた時期は、考古学的な調査がおこなわれていないので断定はできないが、石室の構築状況と、近隣の古墳との比較から、菊川の地に横穴式石室古墳が導入された六世紀の終わり頃と考えられ、菊川の地の古墳時代を研究する上から、きわめて貴重な資料を提供する古墳と言える。

(写真をクリックすると大きくなります)===植松古墳群第五号墳説明版===

植松五号墳は、昭和六十二年度に発掘調査された四基の古墳のうちの一つでこの地に移築されたものです。本墳は後世の水田開発により破壊され、墳丘及び石室の天井部・左側壁が消失した現存のような状況で検出されました。しかし、この古墳の本来の姿は、両側に保存されている二号・三号・墳と同じ横穴式石室の内部構造をもつ円墳です。古墳の上部構造に比べ、石室内の床面や周溝部は、比較的よく遺つていたので馬具などの副葬品や供献土器(須恵器)が検出されました。

(写真をクリックすると大きくなります)===植松古墳群第五号墳===
(写真をクリックすると大きくなります)===植松古墳群第五号墳===
(写真をクリックすると大きくなります)===植松古墳群第五号墳===
(写真をクリックすると大きくなります)===植松古墳群第五号墳===
(写真をクリックすると大きくなります)=植松古墳群第五号墳から移築された石室=