龍原寺三重塔(大分県) ― 2012年01月12日 10時36分19秒
名 称:龍原寺(りゅうげんじ)三重塔
所在地:大分県臼杵市福良平清水134
(写真をクリックすると大きくなります)浄土宗 龍原寺龍原寺山門前の説明板には、つぎのように記されています。
浄土宗総本山知恩院末、慶長五年(1600年)創建、後陽成天皇の御字慶長五年
当寺開山円誉上人は領主の船長南興大夫の便船にして下向あり上人の高風を慕い乞により其の家に留錫す。
領主の稲葉右京貞通公は上人の高徳に感じ龍ヶ渕(現今の古名なり)を埋め一字を創建せり。
この龍原寺三重塔は、臼杵が生んだ名匠高橋団内が、奈良や京都の古寺をめぐり、古い塔の長所をとり入れた理想的な三重塔の図面を引き、それを基に弟子の坂本荘右衛門が監督し、建物を完成させました。
工事は、嘉永元年1848年から10年の歳月をかけて行われ、安政5年1858年に竣工しました。総高21.8メートルをはかる九州でも数少ない江戸時代の三重塔です。内部には、聖徳太子の像が安置されています。
この邪鬼像が龍原寺三重塔のように建築物の中にとり込まれていることは極めて珍しい例であるようです。この三重塔は京都や奈良の木造古塔を参考として、臼杵の名匠・高橋団内が設計し安政五年(1858年)に完成したものですが、京都や奈良の塔で邪鬼をこのような位置にはめ込んだものはないようです。
恐らく団内や、この三重塔の製作に携わった工匠たちの発想によるものと思われています。この邪鬼像は、高橋団内の弟子である宇野定治の作と伝えられています。それぞれ表情やポーズは異なっていて、苦しげな表情で両手と肩で軒を支えるもの、かと思えば片手で軽々と垂木を持ち上げている表情など、確かな彫刻技術の中に軽やかな遊び心も感じられます。
この三重塔は1600年に臼杵藩の稲葉右京貞通、(いなばうきょう、さだみち)初代藩主が創建した塔で、九州に2つしかない木造三重塔です。この三重塔には聖徳太子像を安置していることから太子塔とも呼ばれています。また第一層の軒下には、邪鬼像が四隅にはめ込まれています。
龍原寺境内からの三重塔の全景です。
相輪(そうりん)とは、五重塔などの屋根から天に向かって突き出た金属製の部分の総称。上から順に宝珠:仏舎利(釈迦の骨)が納められる。竜車:高貴な者の乗り物。水煙:火炎のデザインだが火事を避けるため水煙とされている。九輪(宝輪):五智如来と四菩薩を表す。受花(請花):飾り台。伏鉢:鉢を伏せた形をした盛り土形の墓、ストゥーパ形。露盤:伏鉢の土台。宝珠は仏舎利が納められるため、最も重要とされる。 なお、中心を貫く棒は「擦」または(刹管)と呼ばれています。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ja4chu.asablo.jp/blog/2012/01/12/6286607/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。