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石橋記念公園(鹿児島県)2012年03月13日 16時08分04秒

(写真をクリックすると大きくなります)===西田橋と西田橋御門===

所在地:鹿児島県鹿児島市浜町1-3.

形式:石橋四連アーチ

石工:岩永三五郎

橋長:49.5m:橋幅: 6.2m :完成:1846年(弘化3年)

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この西田橋は九州街道の道筋にあって参勤交代の列が通った西田橋は、城下の玄関口として藩の威光を誇示した橋で、名石工:岩永三五郎の代表作でもあります。石橋への架け替えの際にも、由緒ある橋として木橋時代の青銅製擬宝珠をそのまま使い、丸柱の精巧な高欄とするなど、他の橋に比べて約3倍もの建設費がかかり当時の金額で約7127両余りが、かかったようです。また 橋のたもとには西田橋御門が再現されていますが、この門は西田橋の左岸にあって城下の武士や町人、領内を通行する旅人は御門脇の番所で改めを受けて通行していたようです。

(写真をクリックすると大きくなります)===(岩永三五郎之像)===

◇◇◇岩永三五郎◇◇◇
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岩永三五郎顕彰の由来、肥後の石工 岩永三五郎幸安は、寛政五年(1793年)熊本県八代郡東陽村に生まれ、「性質淡薄寡欲にして、まことに良工なりしは人の能く知る所にして、水利を視、得失を考え、大数を測るに敏なる、はじめて見る地といえども神のごとし」と評され、その人物、土木技術のすぐれたること薩摩に聞こえ、天保十一年(1840年)、時の家老調所広郷に一族共々招かれ、藩内一円の営繕、土木事業の責任者として、その腕をふるった。  すなわち、阿久根の古田修繕、出水、国分、加治木の新田開発、市来の水道、伊集院から出水への道路、山川指宿から鹿児島への道路、鹿児島本港護岸工事(三五郎波止場)、井堰、稲荷川、甲突川の河川改修、西田橋をはじめとするその眼鏡橋の築造は鹿児島、川内、串木野、指宿の各地におよび、三五郎およびその一族にいたっては九州各地に190余りの眼鏡橋を架橋し、なかでも三五郎の甥丈八は、明治政府に招かれ皇居の二重橋等々を架橋した。  薩摩藩在中十年もの間、地元の石工共々その献身的な働きにより幾多の土木事業を成し遂げた。岩永三五郎は、嘉永二年(1849年)薩摩を去り、嘉永四年(1851年)十月五日、八代郡鏡町芝口にて五十九才で没す。  ここに岩永三五郎はじめ、その一族の労苦に思いを馳せ、その偉業を後世に伝えるものである。

現地:岩永三五郎顕彰碑より

(写真をクリックすると大きくなります)===西田橋と西田橋御門===

西田橋御門は、城下の玄関口にあった西田橋の性格を表す重要な施設です。発掘調査で確認された橋との位置関係を保って、残っていた写真や市内の仙巌園の門などから構造仕様を推定して復元的に整備されています。

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