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門司埼灯台 (福岡県)2013年02月01日 20時48分00秒

(写真をクリックすると大きくなります)===門司埼灯台===

施設の概要: 名称: 門司埼灯台(もじさきとうだい)

位置: 北緯: 33度57分44秒 東経: 130度57分47秒

塗色及び構造: 白色 塔形: 石造り(タイル張り)

等級及び灯質: 明暗白光 毎・明3秒・暗3秒

光 度: 閃光 110カンデラ

光達距離: 閃光: 5.5海里(約11km)

高 さ: 地上~頂部: 7.6メートル 平均水面~灯火約9.9メートル

管理事務所: 門司海上保安部・電話:093-321-1481

(写真をクリックすると大きくなります)===門司埼灯台・説明板===

関門海峡は、鳴門海峡、来島海峡とともに日本三大急潮流の一つに数えられ、特にここ早鞆瀬戸では、大潮時最高流速は10ノット(時速約18km)にもなります。また、同瀬戸は航路幅が500メートルと狭く、加えて1日約600隻の船舶が通航する、海の難所となっています。門司埼灯台は、大正十三年(1924年)に建てられ、以来この危険な海域を航行する船舶の安全を守るため、前夜明かりを灯し続けています。

===現地説明板より===
(写真をクリックすると大きくなります)===門司埼灯台横・句塚===
(写真をクリックすると大きくなります)===句塚の由来説明板===
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寿永四年(1185年)三月二十四日ここ壇ノ浦海域において、源義経率いる源氏軍と平知盛率いる平家軍の壮絶な戦いに平家軍は壊滅しました。御座舟に在る二位の尼は、宝剣、神璽を携え、幼帝安徳天皇をいだいて「浪のしたにも都のさぶろうぞ」と急流の潮間に身を投じました。この俳句塚百句は、門司俳人協会が二位の尼をはじめ多くの女官の供養と、壇ノ浦の合戦に海の藻屑と散っていった源平数千の人々の衷史を語りつぐ証に設けたものです。

===現地説明板より===

和布刈神社 (福岡県)2013年02月03日 20時47分13秒

(写真をクリックすると大きくなります)===和布刈(めかり)神社 ===
(写真をクリックすると大きくなります)===和布刈(めかり)神社鳥居下の灯篭 ===
(写真をクリックすると大きくなります)===和布刈(めかり)神事の絵 ===>

三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめ刈り採って、神前に供えます。神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われます。

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九州最北端に位置するこの神社は社記によると、仲哀天皇9年に 比賣大神(ひめのおおかみ)、日子穂々手見命(ひこほほてみのみこと)、鵜〔茲鳥〕葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、豊玉日賣命(とよたまひめのみこと)、阿曇磯良神(あすみいそはらのかみ)の五柱の神を祭神として、創建され、江戸時代までは、速戸社(はやとしゃ)とか隼人社と呼ばれていました。

近世末までは、時の領主である大内氏、毛利氏、小笠原氏の崇敬庇護厚く、神殿前には細川忠興公が寄進した灯籠があります。  この神社には古くから和布刈神事が伝えられていますが、李部王記によれば、和銅3年(710年)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録があり、奈良時代から行われていたものです。神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われます。

三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめ刈り採って、神前に供えます。  わかめは、万物に先んじて、芽をだし自然に繁茂するため、幸福を招くといわれ、新年の予祝行事として昔から重んじられてきたものです。神事のうち、わかめを採る行事は、県の無形民俗文化財に、また、当神社に伝存する中世文書九通は、市の有形文化財に指定されています。

北 九 州 市   北九州市教育委員会

===現地説明板より===