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都井岬灯台 (宮崎県)2014年10月11日 19時46分46秒

施設の概要: 名称: 都井岬灯台(といみさきとうだい)

位置: 北緯: 31度22分03秒 東経: 131度20分45秒

塗色及び構造: 白色 八角形 (コンクリート造り)

等級及び灯質: 閃白光 毎15秒・1閃光

光 度: 閃光 53万カンデラ

光達距離: 閃光: 23.5海里(約42km)

高 さ: 地上~頂部: 15.30メートル 平均水面~灯火255.30メートル

所在地:宮崎県串間市大字都井岬

(写真をクリックすると大きくなります)===都井岬灯台階段===

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この都井岬灯台は、宮崎市から南へ、日南海岸と呼ばれる九州有数の観光地の最南端に、日向灘と志布志湾を分けた形 の岬があり、岬の突端に都井岬灯台が建っております。240メートルの断崖上にある白い灯台は、 海の青さと岬の緑に囲まれて、美しいポイントをつくっています。

高さ15メートルの灯塔に昇れば東の日向灘をはじめ、三方面の黒潮流れる海を一望することか でき、背後には、野生馬(岬馬・御崎馬と呼ぶ)の棲む林が続き、野生猿が遊ぶ。施設の屋根を陸屋根 として周囲に欄干を設け、灯塔から出入りする屋上庭園となっている斬新な設計は、建設当初の儘で、 そこから眺める灯台の周りは、濃緑のソテツが自生しており、南国ムードか一杯です。日本海の余部埼灯台ができるまでは、平均水面上の高さ・光達距離が共に日本一を誇っておりました。

「日向の国、都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海聴く」(海の声)父・立蔵がその当時無医村で あった都井で、診療していたころ、若山牧水が、青島から油津により、都井岬に来遊した時の歌です。 昭和4年12月22日設置・白色コンクリート造り・平均水面上から灯火の中心までが255メートル光度 53万カンデラ、23.5海里の光達距離を誇っております。建設当初は、国産の一等単閃光レンズを 使用して灯ろう(レンズ室を覆う部分)には関東大震災によって大破した横浜の試験灯台の特一等灯 ろうを転用していましたが、昭和20年戦災の被害によって灯室が大破炎上し、昭和25年に第三等 大型レンズに変えられました。

(写真をクリックすると大きくなります)===都井岬灯台右側面から===

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都井岬灯台は、昭和四年五月十六日施工、同年十二月二十二日に初点灯しました。灯台の建設は、海運界の要望により開始されたものですが、当時、日本艦隊は志布志湾に集結し、日向灘で演習していたため、海軍からの強い要請もあったともいわれています。

建設当初の灯台には国産のレンズ(レンズの高さ2.59m)が使用され、レンズを覆う灯籠には関東大震災により大破した横浜の試験灯台 のものを再利用しました。当時の光源は、1300カンデラ石油ランプでしたが、昭和19年7月に電化され300万カンデラと当時では東洋一の光度を持つ灯台となりました。

(写真をクリックすると大きくなります)===都井岬灯台・灯塔部===

その後、翌20年7月の空襲による灯室の大破、さらに、25年9月の超大型台風による灯籠の大破が重なり、現在、建設当時のものとして残っているのはコンクリート造りの灯塔だけとなっております。しかし、この灯台は付近の地形を十分に生かし、付属舎陸屋根に欄干を設け、灯塔から出入りする屋上庭園としているのは昔しのままで、建設当時から斬新な設計として注目を集めております。

(写真をクリックすると大きくなります)===御崎の風景===

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御崎馬は長野県の木曽馬や北海道の道産子などとともに日本在来馬と言われ、今から2000年も前の縄文時代後期から弥生時代中期にかけて中国大陸から導入された馬がその起源とされています。 古くから馬の生産は盛んに行われ、大化の改新でも馬の生産や管理に関する政策は重要な柱の1つであり、日本各地に多数の官営の牧場が作られました。特に鎌倉時代以降の武士の時代には軍馬として重要な役割を果し、また牛とともに農業や輸送に不可欠の家畜であったために幕府直営や藩営あるいは民営の牧場が盛んに作られました。

高鍋藩秋月家は、江戸時代の元禄10年(1697年)に日本書紀の中の歌にも詠まれた日向の駒を集めて、今日の串間市を中心に7カ所の藩営牧場を作り軍馬や農耕馬の生産に励みました。この7牧の1つ都井村御崎牧が今日の御崎牧場です。以来この牧場で生産される馬は御崎馬(岬馬)と呼ばれるようになりました。

御崎馬は牧場開設当初から、ほとんど人手を加えない粗放な管理しか行われず、廃藩後の明治7年、都井4組及び宮の浦を一団とする御崎牧組合の共有牧場となった後も、その粗放な飼い方が続けられてきました。そのため御崎馬の風貌や習性あるいは体形や資質は野生状態を思わせます。これが「都井の野生馬」と言われる所以でしょう。そしてそれ故に昭和28年には「自然における日本に特有の家畜」として国の天然記念物に指定されました。 

(写真をクリックすると大きくなります)===御崎の野生馬(御崎馬)===
(写真をクリックすると大きくなります)===御崎の野生馬(御崎馬)===

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御崎馬には2つの大きな特徴があります。その1つは、日本古来の日本在来馬としての特徴です。日本在来馬は、体格、体形の頬似や考古学的調査から中国の蒙古馬がそのルーツと言われています。御崎馬と蒙古馬を比較すると、両者とも体高が130cm内外で、体最も300kg前後です。また未改良馬の毛色の特徴である背中の鰻線や河原毛も共通しています。御崎馬に見られる粗大な楔型の頭部、良く発達した顎骨、水平な頸、斜尻(編笠尻)、短かいが丈夫でしなやかな四肢などの特徴は典型的な日本古来の馬のそれです。

 御崎馬のもう1つの特徴は、過去300年にわたる厳しい自然の中での生活から生れた御崎馬特有の野生的な生態です。飼馬や動物園の馬では全く見られない習性や行動を多数持っています。前述のようにハーレムを作って繁殖し、季節毎に最適の場所へ移動し、その過程で子馬は色々なことを学びます。草地の急斜面に見られる縞模様は、御崎馬の体格に最も通した採食のための馬道です。この道に沿って歩くことによって斜面の草は効率良く採食できるわけです。

===現地パンフレットより===

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