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御船山楽園 (佐賀県)2015年04月27日 13時52分43秒


御船山楽園 (旧萩の尾園)

所在地 ⇒ 佐賀県武雄市武雄町武雄4100

名 称 ⇒ 御船山楽園

県指定 (名勝地)⇒ 平成22年 国登録記念物指定

(写真をクリックすると大きくなります)===御船山標高210m===

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ときに戦国時代。武雄では、12世紀頃に関東から移り住んだ後藤氏が猛威をふるっていました。その後、江戸時代初期に肥前国(現在の佐賀地方)の実権が龍造寺氏から鍋島氏に移行した際、後藤氏はその家臣となり、鍋島に改姓。「親類同格」の重臣として鍋島本家に仕える一方、佐賀藩武雄領の自治を行いました。

武雄鍋島家で最も知られるのが、第28代武雄領主の鍋島茂義(1800年~1862年)です。鎖国時代にあって積極的に蘭学を導入し、西洋式大砲や蒸気船の製造に成功するなど、いち早く西洋の軍事・科学技術に着目。のちに「佐賀の七賢人」と称される第10代佐賀藩主の鍋島直正(1814年~1871年)に多大な影響を与えた人物です。

(写真をクリックすると大きくなります)===20万本のつつじ谷)===

武雄領主は、現在の武雄高校の位置にあった塚崎城(武雄城)を居城としました。背後には、神功皇后が新羅からの帰りに御船をつながれたことに由来するという武雄のシンボル、標高210メートルの御船山がそびえ立ちます。その御船山の断崖を借景に、茂義が約3年の歳月をかけて1845年(弘化2年)に完成させたのが御船山楽園(旧萩の尾園)。15万坪を誇る壮大な池泉回遊式庭園です。

造園にあたって茂義は、室町時代から江戸時代まで幕府の御用絵師を務めた狩野派の絵師を京都より招き、今でいう完成予想図を描かせています。自ら狩野派に学び、「皆春斎」の雅号で多くの作品を残している茂義のこと、思い描いていた庭園のイメージを事細かに伝えたに違いありません。