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常栄寺・庭園(山口県)2015年06月20日 03時13分45秒

所在地 ⇒ 〒753-0011 山口県山口市宮野下2001

名 称 ⇒ 常栄寺庭園 (通称= 雪舟庭) ( 臨済宗東福寺派)

庭 園 ⇒ 国指定名勝・史跡 大正15年2月24日指定

(写真をクリックすると大きくなります)===常栄寺山門===

常栄寺(じょうえいじ)は、山口県山口市宮野下平野にある臨済宗東福寺派の寺院。山号は香山。後庭は雪舟等楊の作と伝えられ、「常栄寺庭園」(通称:雪舟庭)として、国の史跡および名勝に指定されています。

===現地説明板より===
(写真をクリックすると大きくなります)===常栄寺・雪舟庭案内板===
(写真をクリックすると大きくなります)===常栄寺・横 雪舟銅像===

画聖雪舟は、1420年(応永27年)備中赤浜(現在の岡山県総社市)に生まれ、幼くして井山宝福寺へ入り僧になったといわれています。 京都の相国寺で水墨画を画僧周文から学んだのち、当時有力な守護代名であった大内氏の招きで山口の雲谷庵に居を移します。

その後、中国(明)で2年間を過ごし、水墨画の神髄を探求むしました。帰国後は豊後(大分県)に一時画桜をかまえましたが、再び山口に戻り、雲谷庵を拠点として石見(島根県)などへ活躍の場を広げて多数の作品を創作しました。また、画ばかりではなく、庭園も手掛けたといわれ、ここ常栄寺の庭園も雪舟作とされています。

===現地説明板より===
(写真をクリックすると大きくなります)===常栄寺・鐘楼門===
(写真をクリックすると大きくなります)===常栄寺・庭園説明板===

常栄寺庭園 この庭は、室町時代の中頃当時妙喜寺といっていた寺の庭として、大内政弘が画聖雪舟に命じて築造させたものと伝えられている。家庭には30アールの広さで、背景の山林も指定地となっている。北側に枯滝があり、中央に心字池があり、その周囲には庭石を豊かに配している。

 内庭は、石だけで作庭され、その石は室町時代の庭園の特色となっている立石が多く使用されている。  この庭は水と石とに主体をおいて簡素であり豪放であり、岩の持つ堅さすなわち岩の意思ともいうべき頑丈さをよく生かしていて、直線と角との最大の巨匠であると評された雪舟の山水画をみるようである。妙喜寺は、その後妙寿寺と称し、さらに明治になって、毛利隆元の菩提寺となり常栄寺と改められた。

===現地説明板より===
(写真をクリックすると大きくなります)===常栄寺・本堂内から眺望===

庭園は本堂の北面にあり、内庭は約30アールの広さで、東、西、北の三方が山林となっています。近年この山林も指定地域に含まれました。 庭に使用されている石材はこの近くの山から運搬したものと言われる輝岩です。庭は北側に滝を掛け、中央には無染池(心字池)を設け、その周囲には庭石を豊かに配しています。

石は室町時代の特色となっている立石が多く使用されています。庭の上方に小高い丘陵がありそこに四明池、弁天池の水源があります。弁天池の水は一つは潜竜池に流れ入って洗耳渓から無染池に注ぎ、また一つは坐禅石の脇を通って池に入ります。

北側の滝は下部を五渡渓、上部を揚雲渓と称していますが、四明池はその上にあります。この滝は現在水が流れず、枯滝といっていますが、最初は水が流れていたと思われます。滝の石組みは立派でよく室町時代の特色がでています。

池中には四仙島と称される四つの島が浮かんでいます。東池畔には仏石と呼ばれる霊象石と投形石を組み合わせた大石があり、西北側には十六羅漢と名付けられている岩組や、坐禅石と呼ばれる石があります。

(写真をクリックすると大きくなります)===常栄寺・本堂外から眺望===

南方の本堂正面には中央に日本を象徴した富嶽と称する石を置き、前方には終南山、五台山、廬山、華山、衡山、百丈山などと呼ばれる中国大陸の三山五嶽になぞらえた石組みがあります。これは雪舟が中国大陸の風景から得た構想と伝えられています。

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