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東行庵の紅葉2015(山口県)2015年11月16日 10時09分46秒

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この地は清水山と称し、幕末の頃、奇兵隊軍監、山縣狂介(やまがたきょうすけ)(有朋ありとも)は麓に草庵を建て無隣庵(むりんあん)と名付けていた。慶応3年(1867年)4月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。

晋作に仕えていた愛人うの(後に谷梅処ばいしょ)は黒髪を断って出家したので、山縣は明治2年(1869,年)無隣庵を梅処に贈り欧州に旅たった。現在の庵は明治17年伊藤博文・山縣有朋・井上馨(かおる)等全国諸名士の寄付により建立されたもので、梅処は明治42年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。

昭和41年東行の百年祭を機に庵の原型をとどめるため大修理を行った。

===現地説明版より===
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