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清水寺 ・ 三重塔 (福岡県)2016年02月15日 15時03分21秒


本吉山清水寺三重塔(福岡県)

宗 派  : 天台宗

名  称 : 本吉山清水寺

所在地 : 福岡県みやま市瀬高町本吉1117-4

(写真をクリックすると大きくなります)===清水寺三重塔===

清水三重塔は本来寺院のシンボルで釈迦佛の遺骨を納めて礼拝する信仰の対象物であります。この塔は「文政五年(1822年)柳川十代藩主立花鑑賢公」領内住民近国の信者の寄進により柳川大工宗吉平衛が大阪四天王寺の五重塔を手本に二千両をかけ14年の歳月をついやして天保七年(1836年)完成したものであると伝えられます。塔の高さは初層まで5.5メートル二層、三層はそれぞれ4.5メートル屋根に立つ相輪まで27メートルであります。天台宗密教の建築様式により設計されており創建以来百数十年の風雪に堪えてきましたが近年に至り白蟻の被害の為倒壊寸前にあった所、この間町をあげて復元奉賛会を組織し県内はもとより遠く東京、名古屋、関西方面の有志の寄進により欅、楠等四百石(110立方米)の木材が使用され芯柱、四天柱、側柱、床板等は古材を用いて原形をそのまま生かし補修のあとが目立たない様に工夫され昭和41年11月に完成しました。

===現地説明版より===

(写真をクリックすると大きくなります)===清水三重塔説明版===
(写真をクリックすると大きくなります)===清水寺・山門===

この山門は、木造入母屋二層造、屋上、階下とも三十六・三平方メートル・造営当時は桧皮葺でありましたが、現在は銅版葺に替わっています。延享二年(1745年)柳川初代藩主、立花宗茂公より第六代目の藩主、立花貞則公が願主となって、大城源右衛門を大棟梁とし建立させたものであります。階上には釈迦如来・文殊菩薩と、これを守護する持国・広目・増長・多門の四天王の像が安置されています。

(写真をクリックすると大きくなります)===清水寺・山門説明版===

寺伝によれば、平安時代初期の大同元年(806年)、唐から帰国してまもない最澄(伝教大師)は、1羽の雉の導きで清水寺のある山に分け入り、合歓(ねむ)の霊木を見つけたという。最澄はこの合歓の立木を刻んで2体の千手観音の木像を作り、うち1体を京都の清水寺に安置。もう1体を安置する堂をこの地に創建したのが当寺の起源であるという。

延享2年(1745年)には当時の柳川藩藩主立花貞則が願主となって、山門(福岡県指定重要文化財)が建立され、天保7年(1836年)には三重塔(福岡県指定重要文化財)が落成した。

(写真をクリックすると大きくなります)===清水寺・参道石段===