分寺橋 (大分県) ― 2019年03月04日 09時35分19秒
分寺橋 (大分県)
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名 称 : 分寺橋 (ぶじばし) 別 名 :石拱橋・(眼鏡橋)
所在地 :大分県宇佐市院内町温見分寺
竣工年間 : 昭和20年(1945年)
石 工 : 高名繁喜.
形 式 : 石造3連アーチ橋
宇佐市指定有形文化財
昭和57年3月19日旧院内町指定
(写真をクリックすると大きくなります)===分寺橋(めがね橋)===この橋は、大正初期に架設されましたが、昭和20年に戦時中の必要性から大改修がされた、三連のめがね橋です。戦争の真っ最中に改修されたにも関わらず、均整に彫刻された石がていねいに積み上げられています。この説明板の下にあるものは分寺橋の水切台を実物大で再現したものです。水切台 川の上流に向かって三角形になっているのは、橋にかかる水の抵抗をやわらげるために工夫施工されたものです。
===分寺橋 説明板より===
深見五重塔 (大分県) ― 2019年03月07日 15時09分10秒
深見五重塔 (大分県)
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所在地 : 大分県宇佐市安心院町鳥越
名 称 : 定樹山大健寺深見五重塔
建築方式 : 木造 ・高さ28m ・建立年月日: 1983年(昭和58年4月)
(写真をクリックすると大きくなります)===深見五重塔全景===この五重の塔は糸永貞樹翁が故郷への報恩感謝の念をこめて建立したものです。翁は明治28年4月15日当地鳥越で此の世に生を享け、18才の時に身一つで東京に出て、文字通り苦学力行、ユフ精器株式会社(医療機器関係)を設立一代の成功者となりました。翁は常々今日、自分があるのは第一には両親をはじめ先祖のおかげであり、第二はこれまで接してきた周囲の多数の方々のおかげであると言っておりました。
郷土鳥越の地に平安から鎌倉にかけて栄えた大建寺と言う由緒あるお寺がありましたが、何時の時代にか廃寺となっており、大建寺跡地 にふさわしい五重の塔を建立して、我が国の古き良き伝統を形として郷土に残したいと思い、美しさに定評のある平安時代建立の京都の国宝醍醐寺の五重の塔をモデルに、昭和58年4月15日翁の88才の誕生日に米寿を記念して落慶したものです。九州においては唯一の木造五重の塔です。
===現地五重塔建立之記より===世界の恒久平和と人類の永遠の幸せを念じて昭和五十八年建立。 高さ十メートルの白御影石の一本彫りである。堂内には財宝幸福知恵長寿を守り災厄を祓う千手観音や海運宝珠観音、白衣薬師観音が安置してあります。
(写真をクリックすると大きくなります)===観音像===大建寺山門には左右一対の仁王像が安置されています。樹齢六百年の欅(ケヤキ)の一本彫りです。欅(ケヤキ)の木目が薄っすらと見え印象的です。
(写真をクリックすると大きくなります)===定樹山大建寺山門仁王像左側
リフレッシュパーク豊浦 (山口県) ― 2019年03月20日 15時30分26秒
荒瀬橋 (大分県) ― 2019年03月23日 10時47分55秒
荒 瀬 橋 (大分県)
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名 称 : 荒瀬橋 (あらせばし) 別 名 :(眼鏡橋)
所在地 :大分県宇佐市院内町副
竣工年間 : 大正2年(1913年)
石 工 : 松田新之助.
形 式 : 石造2連アーチ橋
宇佐市指定有形文化財
昭和57年3月19日旧院内町指定
荒瀬橋は、院内町を代表する石工、松田新之助が造った橋です。県の工事として請け負いましたが、大きな赤字が出たため、許可を得て完成からしばらくの間、県下で初めての有料橋となっていました。松田新之助は、明治末から昭和初期にかけて、町内でなく近郊の村も含めて多くの石橋を架けており、宇佐郡・下毛郡を通じて最も活躍した石工といえます。院内町は、両川・高並・東院内・院内・南院内の五村が合併してできた町ですが、それぞれの村に石橋を架けた石工の名前が残っています。お互いに腕前を競い合ったことが考えられますし、場合によっては協力しながら、石橋を造ってきたことが推測されます。
現地説明板より
(写真をクリックすると大きくなります)===荒瀬橋説明板===
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