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川棚 の クスの森 (山口県)2014年07月11日 07時43分27秒


川棚のクスの森

所在地 : 山口県下関市豊浦町川棚下小野6895

名 称  : 川棚の クスの森

樹木 国指定天然記念物大正11年指定

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◇◇◇川棚のクスの森◇◇◇ 国指定天然記念物『川棚のクスの森』大字川棚字踊場にあり、大正十一年、内務省告示により天然記念物に指定された。立石山(標高二〇五m)の北麓の台地に生育し、高さ二十七m、幹周り十一.二mは県下第一の大きさを誇る。樹勢は旺盛で、四方に伸びる枝は、東西五十八m、南北五十三mに広がり、枝張りの美しさは日本一とも言われる。また、他の二箇所の枝は垂れ下り、その一部が土中に埋もれ、ここより発根して再生している。一株から四方に伸びた枝は周囲を広く覆っているため、根元に目を向けてはじめて頭上にうっそうと茂る枝はすべてそこから伸びていることに気づき圧倒される。一株であることにもかかわらず、遠目には「森」のごとくみえるその姿からこの名は付けられた。このクスの根元には、戦国時代に陶氏の乱に倒された大内義隆公の後を追うように、この地で命尽きた愛馬雲雀毛が埋葬されたという伝承がある。そのためクスの森霊馬神・馬神とも呼ばれ、この名馬の霊を慰め鎮めるための供養が毎年行われている。・・・・・・〔下関市豊浦町〕    現地説明版より・・・・・・

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クスの森は、天を覆いつくすように枝を広げる一本のクスの巨樹で、まるで森のように見えることからこう呼ばれています。日本三大樟樹の一つで、樹齢約千年といわれ、俳人、種田山頭火は昭和七年六月十四日にこの地を訪れ、「大樟の枝から枝へ青あらし」、「注連を張られ樟の森といふ一樹」、「大樟の枝垂れて地にむとどく花」、の三句を詠んでいる。

(写真をクリックすると大きくなります)===現地説明版===

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国指定天然記念物 『川棚のクスの森』大字川棚字踊場にあり、大正十一年、内務省告示により天然記念物に指定された。 立石山(標高二〇五m)の北麓の台地に生育し、高さ二十七m、幹周り十一.二mは県下第一の大きさを誇る。樹勢は旺盛で、四方に伸びる枝は、東西五十八m、南北五十三mに広がり、枝張りの美しさは日本一とも言われる。

また、他の二箇所の枝は垂れ下り、その一部が土中に埋もれ、ここより発根して再生している。 一株から四方に伸びた枝は周囲を広く覆っているため、根元に目を向けてはじめて頭上にうっそうと茂る枝はすべてそこから伸びていることに気づき圧倒される。一株であることにもかかわらず、遠目には「森」のごとくみえるその姿からこの名は付けられた。 このクスの根元には、戦国時代に陶氏の乱に倒された大内義隆公の後を追うように、この地で命尽きた愛馬雲雀毛が埋葬されたという伝承がある。そのためクスの森霊馬神・馬神とも呼ばれ、この名馬の霊を慰め鎮めるための供養が毎年行われている。

〔下関市豊浦町〕

===現地説明版より===
(写真をクリックすると大きくなります)===山頭火歌碑===

大樟の枝から枝へ青あらし 山頭火

俳人、種田山頭火は昭和七年六月十四日にこの地を訪れ、◎大樟の枝から枝へ青あらし」、◎「注連を張られ樟の森といふ一樹」、◎「大樟の枝垂れて地にむとどく花」の三句を詠んでいる。

ハゼ並木 (福岡県久留米市)2013年12月04日 06時06分28秒

所在地 : 福岡県久留米市山本町豊田


柳坂曾根のハゼ並木

(写真をクリックすると大きくなります)===柳坂曾根のハゼ並木===

このハゼの木は、久留米藩が寛保2年に灯明用の蝋の原料として植樹したもので、柳坂曾根のハゼ並木には「伊吉ハゼ」を含め約200本が植えられており、約1.1㎞の並木道が続いてます。 老木のハゼは高さ5~6メートル、幹周り1メートル程あるものもあり、昭和39年に福岡県の天然記念物に指定され、平成6年には新・日本街路樹100景にも選ばれています。

(写真をクリックすると大きくなります)===柳坂曾根のハゼ並木===

ハゼの実は西日本の特産物1つで、18世紀前半から各地で栽培されました。久留米藩でも、享保15年(1730年)竹野郡亀王村(現田主丸町)の庄屋竹下武兵衛が初めて栽培し、宝暦年間頃、著名な「松山櫨」を発見して他国にも普及しました。市内では寛保2年(1742年)に御井郡国分村鞍打にハゼを植えたことが確認できます。 その後、小郡の内山伊吉が優良種「伊吉ハゼ」を生み出し、筑後ハゼの名声は高くなりました。

妙見社の大銀杏(山口県)2013年12月01日 07時27分52秒

(写真をクリックすると大きくなります)===妙見社の大イチョウ===

所在地: 山口県山口市徳地八坂(旧佐波郡徳地町)

名 称: 妙見社の大イチョウ

(写真をクリックすると大きくなります)===現地説明板===
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この大イチョウは、寛元二年(1244年)に創建された妙見社が、火災により焼失した際に植えられたと言い伝えられており、樹齢700年余りと推定される。

高さ約三十七メートル、目通り幹囲、8.5メートル、根回り約12メートル、枝張りは東西約27メートル、南北約22メートルであり県内のイチョウの中では、目通り幹囲第一位、高さ第二位の希にみる巨樹である。

また、県内で天然記念物に指定されているイチョウの中で雄株はこの樹だけであり、学術的にも貴重である。

遠方からよく望まれるため、昔はこの樹の黄葉によって麦の蒔きつけ時期を知ったという。枝を切ったり、傷つけたりしないょうにしましょう。

(写真をクリックすると大きくなります)===妙見社の大イチョウ===

この巨樹では枝から 垂れ下がった円錐形の突起を生じる時があり「乳イチョウ」と呼ばれています。また昔からここにお参りすればお乳がよく出るという言い伝えが残っています。

白い彼岸花 (福岡県)2013年09月23日 05時42分53秒

名 称 :不老山正光寺

所在地 :福岡県築上郡築上町伝法 寺1357

(写真をクリックすると大きくなります)===正光寺の白い彼岸花)===


正光寺の白い彼岸花

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不老山正光寺は、天徳寺(曹洞宗)の末寺で、行基作と云われる文殊菩薩を守り本尊として、「智恵の文殊さま」として有名です。 毎年2月25日、26日には、文殊大祭が催され、多くの参拝者が「智恵を授かろう」と合格祈願に訪れています。

いつもは本堂の深い扉の中にある文殊菩薩もこの両日だけは御開帳されます。 文殊菩薩は、仏教のあらゆる教えを説く仏として智恵をつかさどると言われていて、 檜材の寄木造りで、農耕牛を思わせる力強い獅子に座しており、総高は1m位あります。9月には白い彼岸花が境内に咲き乱れ観光客゜を楽しませています。

(写真をクリックすると大きくなります)===正光寺の白い彼岸花)===
(写真をクリックすると大きくなります)===正光寺の赤い彼岸花)===

鶴見岳のミヤマキリシマ(大分県)2013年06月01日 19時08分21秒

(写真をクリックすると大きくなります)===山上駅横斜面のミヤマキリシマ===


鶴見岳のミヤマキリシマ

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【深山霧島】[学名:Rhododendron kiusianum Makino]

ミヤマキリシマはツツジ科の半落葉低木で高さ0.3~1メートル位で小枝をよく分け、枝が横に張ります。葉は楕円(だえん)形で長さ1~1.5センチ、革質で表面に褐色の剛毛がある。5~6月、枝先に漏斗(ろうと)状で先端が五裂する径2~2.5センチの花を2~6個開く。花色は紅紫色、朱色など変化がある。雄しべは五本。果(さくか)は卵形、褐色の毛がある。九州の標高約1000メートル以上の山地に生え、雲仙岳、阿蘇山、霧島山から開聞岳まで分布しています。

(写真をクリックすると大きくなります)===山上のミヤマキリシマ===
(写真をクリックすると大きくなります)===鶴見岳山上斜面ミヤマキリシマ===
(写真をクリックすると大きくなります)===鶴見岳ロープウェイ下は高原駅===
(写真をクリックすると大きくなります)===ロープウェイから志高湖を望む===

大分県別府市の西部にある湖で周囲4キロメートル、湖面の標高550メートル灌漑(かんがい)用に、両輝石安山岩の台地上の湿地をせき止めたもので、鶴見岳(つるみだけ)や由布岳(ゆふだけ)の影を映す明るい湖です。1958年(昭和33)湖畔で植樹祭が催されてから脚光を浴び、キャンプ場などの設備があります。別府駅からバスで約35分です。

(写真をクリックすると大きくなります)===ロープウェイから別府市内望む===
(写真をクリックすると大きくなります)===ロープウェイゆふ===

別府ロープウェイは鶴見岳の山上駅と高原駅を結ぶロープウェイで昭和37年12月に開業しました。現在使用しているゴンドラは昭和61年から運行している2代目のゴンドラです。ゴンドラは101名乗りで西日本最大のゴンドラです。鶴見岳に架設された交走式索道で、ゆふ・つるみ、の二台で運行されています。

(写真をクリックすると大きくなります)===鶴見岳ロープウェイ高原駅===

標高1375mの鶴見岳へは標高503mの高原駅から別府ロープウェイで山上駅まで約約10分で上がることができます。春はミヤマキリシマ、夏は涼しい別天地、秋は紅葉、冬は霧氷と、四季折々の自然が満喫できる名所です。利用料金は往復、大人(中学生以上)1400円、子供(4才以上)700円となっています。

妙見社の大イチョウ(山口県)2011年12月11日 11時29分56秒

(写真をクリックすると大きくなります)===妙見社の大イチョウ===

所在地: 山口県山口市徳地八坂(旧佐波郡徳地町)

名 称: 妙見社の大イチョウ

(写真をクリックすると大きくなります)===現地説明板===
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この大イチョウは、寛元二年(1244年)に創建された妙見社が、火災により焼失した際に植えられたと言い伝えられており、樹齢700年余りと推定される。

高さ約三十七メートル、目通り幹囲、8.5メートル、根回り約12メートル、枝張りは東西約27メートル、南北約22メートルであり県内のイチョウの中では、目通り幹囲第一位、高さ第二位の希にみる巨樹である。

また、県内で天然記念物に指定されているイチョウの中で雄株はこの樹だけであり、学術的にも貴重である。

遠方からよく望まれるため、昔はこの樹の黄葉によって麦の蒔きつけ時期を知ったという。枝を切ったり、傷つけたりしないょうにしましょう。

(写真をクリックすると大きくなります)===妙見社の大イチョウ===

この巨樹では枝から 垂れ下がった円錐形の突起を生じる時があり「乳イチョウ」と呼ばれています。また昔からここにお参りすればお乳がよく出るという言い伝えが残っています。

(写真をクリックすると大きくなります)===妙見社の大イチョウ===

地面に落ちたイチョウの葉

(写真をクリックすると大きくなります)===妙見社の大イチョウ全景===

完全に散った状態で残念です。来年に期待しています。

火の山国定公園 (下関市)2010年08月05日 21時57分36秒

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===関門橋===

この関門橋は1973年昭和48年11月14日に開通し。 その当時日本最長の橋となりました。形式は吊り橋で長さは1068mで、最大子支間長は712m、路面幅26mで、高さは海上から高いとこまで141mあります。

(写真をクリックすると大きくなります)810x516==関門海峡と関門橋===

唐戸桟橋から巌流島行き遊覧船よりの景観です。向かって左側が下関市右側が北九州市です。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===山頂展望台===
(C) Script by ja4chu

写真をクリックすると大きくなります。◇この火の山公園は、標高268mです。山頂からは、関門海峡、瀬戸内海、日本海が一望できる、関門屈指のビュースポットです。山頂展望台には回転展望レストランや土産品の売店もあります。また、宝石を散りばめたような関門海峡の夜景はひときわロマンチックです。春は桜とツツジの名所で、5月上旬のツツジ満開の頃にあわせてイベントも行われます。山頂へは、火の山ロープウェイ(運行日にご注意ください)、自動車専用道の火の山パークウェイ(通行無料)のほか、歩いて登ることも可能です。 下関市は山口県の西部、本州の最西端に位置し、総面積は715.89km2を有しており、平成12年の国勢調査による人口は301,097人、世帯数は117,747世帯です。  本市は、東に周防灘(瀬戸内海)、西は響灘(日本海)、南は関門海峡と三方を海に囲まれ、豊かな自然環境に恵まれたまちです。瀬戸内海国立公園に含まれる火の山公園や、北長門国定公園に含まれる角島をはじめ、渓谷や湖なども有しており、水と緑にあふれています。  また、源平壇之浦の合戦の舞台となった関門海峡や、高杉晋作が挙兵し、明治維新の旗揚げを行った功山寺(国宝仏殿)をはじめ、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行った巌流島など、下関市は日本の歴史の節目を刻む数々の重要な舞台となりました。

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この火の山公園は標高268mです。山頂からは、関門海峡、瀬戸内海、日本海が一望できる、関門屈指のビュースポットです。山頂展望台には回転展望レストランや土産品の売店もあります。また、宝石を散りばめたような関門海峡の夜景はひときわロマンチックです。春は桜とツツジの名所で、5月上旬のツツジ満開の頃にあわせてイベントも行われます。山頂へは、火の山ロープウェイ(運行日にご注意ください)、自動車専用道の火の山パークウェイ(通行無料)のほか、歩いて登ることも可能です。 下関市は山口県の西部、本州の最西端に位置し、総面積は715.89km2を有しており、平成12年の国勢調査による人口は301,097人、世帯数は117,747世帯です。  本市は、東に周防灘(瀬戸内海)、西は響灘(日本海)、南は関門海峡と三方を海に囲まれ、豊かな自然環境に恵まれたまちです。瀬戸内海国立公園に含まれる火の山公園や、北長門国定公園に含まれる角島をはじめ、渓谷や湖なども有しており、水と緑にあふれています。  また、源平壇之浦の合戦の舞台となった関門海峡や、高杉晋作が挙兵し、明治維新の旗揚げを行った功山寺(国宝仏殿)をはじめ、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行った巌流島など、下関市は日本の歴史の節目を刻む数々の重要な舞台となりました。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===展望台より海峡ゆめタワーを望む
(写真をクリックすると大きくなります)800x600==遊覧船より海峡ゆめタワーを望む

海峡ゆめタワーの高さは153m、展望室の高さは地上143mあります。これは西日本の自立型タワーの中では最も高い。形状が特徴的で展望室が球状になっている。夜はライトアップされ、関門海峡周辺の夜景が楽しめます。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===展望台より安岡、吉見方面を望む

西側は日本海(響き灘)です。中央に浮かぶ島は蓋井島です。蓋井島という名は、神功皇后が三韓征伐の時、この島の水の池と火の池の二つの井戸を蓋で覆ったことに由来したと伝えられています。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===展望台より椋野、綾羅木、汐入方面を望む

響灘に浮かぶ島々手前より六連島、左横は和合良島、右横は蓋島、後方は男島、女島、などが見えます。右手前は長州出島です。

神田川(山口県下関)2010年03月28日 13時43分59秒

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===神田川説明板===
(C) Script by ja4chu

◇◇◇神田川の歴史◇◇◇  二級河川の神田川は、六万坊山(395.2m)のふもとに源を発し、五毛川や員光川その他を合流して神田川となり、王司と清末の境を流れて周防灘に注いでいます。延長は7~8kmに及び日頃は穏やかで、かんがい用水として流域の耕地を潤しています。昔は川舟によって運送に利用されていたという記録も残っています。安政五年(1858年)正月日付、員光、山田、神田、三ケ村庄屋の市助明細書に「神田川運上銀」のことが誌されています。しかし比の神田川も天保14年、明治37年、大正3年、同13年、昭和17年、同25年、同41年、とたびたびの洪水で大きな災害を起こしました。今では護岸工事や河川改修等により大きな災害は少なくなっています。この公園の上流に架かっていた石橋は、文化8年(1811年)八月に完工しており、石橋としては、規模や構造からも有名橋の一つに数えられていましたが昭和59年一月全面的に改修されて、現在は石橋の欄干の一部が王司側に残してあります。私たちは、ふるさと王司の発展に貢献しているこの神田川を愛するとともに、いつまでも大切にいたしましょう。 ◇◇◇

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◇◇◇神田川の歴史◇◇◇

二級河川の神田川は、六万坊山(395.2m)のふもとに源を発し、五毛川や員光川その他を合流して神田川となり、王司と清末の境を流れて周防灘に注いでいます。延長は7~8kmに及び日頃は穏やかで、かんがい用水として流域の耕地を潤しています。昔は川舟によって運送に利用されていたという記録も残っています。安政五年(1858年)正月日付、員光、山田、神田、三ケ村庄屋の市助明細書に「神田川運上銀」のことが誌されています。しかし比の神田川も天保14年、明治37年、大正3年、同13年、昭和17年、同25年、同41年、とたびたびの洪水で大きな災害を起こしました。今では護岸工事や河川改修等により大きな災害は少なくなっています。この公園の上流に架かっていた石橋は、文化8年(1811年)八月に完工しており、石橋としては、規模や構造からも有名橋の一つに数えられていましたが昭和59年一月全面的に改修されて、現在は石橋の欄干の一部が王司側に残してあります。私たちは、ふるさと王司の発展に貢献しているこの神田川を愛するとともに、いつまでも大切にいたしましょう。

神田川の歴史説明板より


(写真をクリックすると大きくなります)800x600===神田橋欄干===

この神田橋欄干は、文化8年(1811年)八月に完工した当時のものです。、石橋としては、規模や構造からも有名橋の一つに数えられていましたが昭和59年一月全面的に改修されて、現在は石橋の欄干の一部が王司側に残してあります。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===神田橋欄干===
欄干には文化八歳次辛末秋八月と彫られています。
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神田川川岸には毎年地域の皆さんにより手入れされた綺麗な菜の花が見ることができます。
写真をクリックすると大きくなります)800x600 神田川中央付近から旧国道二号線付近を望む。
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写真をクリックすると大きくなります)800x600 神田川沿いに咲き乱れる菜の花。
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神田川には部分的に、このようなヨシがあり、鳥にとっては絶好の休息場所である。丁度アオサギがヨシの前で翼を休めていたのでカメラに収めることが出来ました。アオサギは河川、湖、池沼、湿原、干潟、水田などに多く見ることが出来ます。


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神田川土手に乱れ咲く菜の花。毎年三月初旬に菜の花まつりのイベントが開催されているようです。


清水瀑園(大分県玖珠)2010年02月19日 11時22分43秒

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===現地説明板===
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◇◇◇清水瀑園は、森林の中から自然に湧き出す清水がいくつも滝や渓流となって流れ、四季折々の自然の美を見せてくれます。 昔は、玖珠地方の「雨乞いの地」として知られ、竜神に地酒を捧げる行事が明治時代まで続いたといわれています。 その豊富な湧水は、地元の生活用水や農地を潤す農業用水にも利用されており、昭和六十三年に「豊の国名水」にも選定されいます。 ===所在地===大分県玖珠郡玖珠町大字森

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◇◇◇清水瀑園(しみずばくえん)◇◇◇

清水瀑園は、森林の中から自然に湧き出す清水がいくつも滝や渓流となって流れ、四季折々の自然の美を見せてくれます。 昔は、玖珠地方の「雨乞いの地」として知られ、竜神に地酒を捧げる行事が明治時代まで続いたといわれています。 その豊富な湧水は、地元の生活用水や農地を潤す農業用水にも利用されており、昭和六十三年に「豊の国名水」にも選定されいます。


===現地説明板より===
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清水瀑園の入り口より約100m位行くとこの様な綺麗な渓流が迎えてくれます。
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清水瀑園の渓流その水温は摂氏12度、滋味にも満ちて昭和63年(1988年)、「豊の国名水」に選定されました。
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◇◇◇ここ清水瀑園は、別名を内帆足(うつばし)の滝とも呼ばれています。 大正7年(1918年)から約4年間、地元有志・深草藤太翁が開発、いらい整備を重ねてきました。 とくに平成3年(1991年)の台風で大きな被害を受けましたが、大分県および玖珠町のご助成で復旧できました。長い歳月が培った大自然の恵みで、湧き水は1日に数10万トン、その水温は摂氏12度、滋味にも満ちて昭和63年(1988年)、「豊の国名水」に選定されました。滝あり、渓流ありの景観は周辺の森林空間と共に、「天然クーラーつき楽園の地」として親しまれています。 かつては、玖珠地方の「雨乞いの地」として知られ、竜神に地酒を捧げる行事が明治時代まで伝承されてきました。 最近は園の湧き水が玖珠町内の生活用水、農業用水にも使われ、広く「福の恵み水」として喜ばれています。 清水瀑園の不動明王は昭和8年(1933年)、玖珠町森鉄砲町の念仏者・園田利彰氏が建立しました。 お不動さんは、大日如来の使者とされた明王部でのナンバーワン的な存在。「災いと怠け心を斬る」のが目的ですが、当園のお不動さんは、健康を守る明王と伝えられています。 健康を守るお不動さん 平成3年の台風災害で倒れ、1部が破損しましたが、このほど地元有志の手で修復できました。 お不動産は、来園者の願いを必ず聞き入れてくれました。 ===所在地===大分県玖珠郡玖珠町大字森

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ここ清水瀑園は、別名を内帆足(うつばし)の滝とも呼ばれています。 大正7年(1918年)から約4年間、地元有志・深草藤太翁が開発、いらい整備を重ねてきました。 とくに平成3年(1991年)の台風で大きな被害を受けましたが、大分県および玖珠町のご助成で復旧できました。 長い歳月が培った大自然の恵みで、湧き水は1日に数10万トン、その水温は摂氏12度、滋味にも満ちて昭和63年(1988年)、「豊の国名水」に選定されました。滝あり、渓流ありの景観は周辺の森林空間と共に、「天然クーラーつき楽園の地」として親しまれています。 かつては、玖珠地方の「雨乞いの地」として知られ、竜神に地酒を捧げる行事が明治時代まで伝承されてきました。 最近は園の湧き水が玖珠町内の生活用水、農業用水にも使われ、広く「福の恵み水」として喜ばれています。 清水瀑園の不動明王は昭和8年(1933年)、玖珠町森鉄砲町の念仏者・園田利彰氏が建立しました。 お不動さんは、大日如来の使者とされた明王部でのナンバーワン的な存在。「災いと怠け心を斬る」のが目的ですが、当園のお不動さんは、健康を守る明王と伝えられています。 健康を守るお不動さん 平成3年の台風災害で倒れ、1部が破損しましたが、このほど地元有志の手で修復できました。 お不動産は、来園者の願いを必ず聞き入れてくれました。


===現地清水瀑園保存会説明板より===
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(写真をクリックすると大きくなります)800x600===無数の小瀑===

斜面から流れでるいくつもの滝、高さは2~5m位です。近くまで行けず残念です。苔(コケ)が沢山生え登山靴を履いて行く必要があります。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===不動明王像===

清水瀑園の入り口より遊歩道を渓流沿いに約300m位歩くとこの場所に着きます。この場所からの眺望は神秘的です、無数の小さな滝が点在しています。また清水瀑園の不動明王は昭和八年(1933年)、玖珠町森鉄砲町の念仏者、園田利彰氏が建立したものです。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===小瀑===

この岩の上に上がればよいが遊歩道はこのあたりで行き止まりでした。

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斜面の岩盤のいたるところから自然に湧き出しこれが渓流となる。
===所在地===大分県玖珠郡玖珠町大字森

竜門の滝 (大分県玖珠)2010年01月31日 10時11分43秒

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竜門の滝由来、 国定公園であり元内務省名勝指定地「竜門の滝」は寛元年中(750余年前)鎌倉時代に宋朝より蘭渓道隆禅師が来朝の砌り当地に杖を留められ、この滝をご覧になられ形容が唐土河南府の竜門の滝に似ているので、この滝を「竜門の滝」と名付け、またこの地の奇景十二の名所を定め傍に一寺を建立し吉祥山竜門寺とされました。

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この滝は 国定公園であり元内務省名勝指定地「竜門の滝」は寛元年中(750余年前)鎌倉時代に宋朝より蘭渓道隆禅師が来朝の砌り当地に杖を留められこの滝をご覧になられ形容が唐土河南府の竜門の滝に似ているのでこの滝を「竜門の滝」と名付け、またこの地の奇景十二の名所を定め傍に一寺を建立し吉祥山竜門寺とされました。


===現地説明板より===
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この竜門の滝は中間に滝壷がある二段落としの滝で、全体としては幅40m、落差20mの滝である。1段目の滝は深い滝壷を穿っており、この滝壺をに溜まった水が流れ出す2段目の滝は滑らかで、夏季には滝滑りの子どもでにぎわう。この滝滑りの様子は地元の夏の風物詩ともなっています。

===所在地===大分県玖珠郡九重町===