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蓮華山 富貴寺(大分県)2018年10月19日 12時16分46秒

名 称 ・蓮華山 富貴寺

所在地 ・大分県豊後高田市田染蕗

駐車場 ・有り(無料)

(写真をクリックすると大きくなります)===富貴寺仁王門===

富貴寺(ふきじ)は、大分県豊後高田市田染蕗(たしぶふき)にある天台宗の寺院。山号を蓮華山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基は仁聞と伝える。

富貴寺大堂(おおどう)は、近畿地方以外に所在する数少ない平安建築のひとつとして貴重な存在であり、1952年11月22日に国宝に指定されている。また、2013年10月17日には、富貴寺境内が史跡に指定されています。

(写真をクリックすると大きくなります)==左側仁王像((吽形)と右側仁王像(阿形)==
(写真をクリックすると大きくなります)==富貴寺大堂==

富貴寺大堂は、明治四十年に特別保護建造物に指定され、昭和二十七年以降は国宝として保護されています。阿弥陀如来像は、大正七年に国宝に、昭和二十五年に重要文化財に指定されています。平安後期、浄土思想阿弥陀信仰全盛期の建立で、総素木(榧)造りです。三間四間(柱の間が三つと四つ)の建物で、周囲に廻り縁があります。大面取の方柱に舟肘木をのせ、その上に単層宝形造りの屋根をのせ、行基瓦葺二重繁垂木になっています。簡素な形、優美な屋根の線、それらがどっしりとした安定感を与えています。内部は板敷で、四天柱で内陣が区切られ、阿弥陀如来像が安置されています。須弥壇の格狭間の線はふっくらと優しい形をしており、小組格天井は端正です。大堂はこれまでに四回の大修理が加えられました。分和二年(1352)の墨書きのある棟木の一部が残存しています。現在のものは昭和二十三年から二十五年に大修理されたもので、昭和四十年には行基葺に改修されています。

国宝大堂は、西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の和様建築物です。内陣中央には本尊阿弥陀如来像(重要文化財)が安置され、堂内の壁画は平安三壁画の一つに数えられています。

(写真をクリックすると大きくなります)===阿弥陀如来像===

本尊は阿弥陀如来像で、高さ約八十五センチの榧材寄木造り。螺髪で、二重円光(後補)を背負っています。蓮華座の上に結跏趺座し、上品上生の印を結んでいます。現在は素木のままですが、もとは華麗な漆箔像であったらしく、螺髪にそのあとが見られます。伏し目がち、半開のまなざし、ふくよかかな相貌をしており、藤原時代末期の作と推定されています。本堂には阿弥陀三尊像安置されており、阿弥陀如来像は高さ約八十八センチ観世音菩薩と勢至菩薩はともに立像で約百三センチ。藤原時代末期の秀作で、現在は県指定有形文化財になっており、平成十四年に修復されました。

(写真をクリックすると大きくなります)===富貴寺境内石造物位置図===

熊野磨崖仏 (大分県)2018年10月30日 11時56分10秒

名 称 ・み仏の里 熊野磨崖仏

所在地 ・大分県豊後高田市田染平野

駐車場 ・有り(無料)

(写真をクリックすると大きくなります)===鬼の築いた石段===

紀州熊野から田染に、お移りになった権現さまは霊験あらたかで、近郷の人々はお参りするようになってからは家は栄え、健康になりよく肥えていた。その時、何処からか一匹の鬼がやってきて住みつきました。鬼はこのよく肥えた人間の肉が食べたくてしかたないが権現さまが怖くてできなかった。 然しどうしても食べたくなってある日、権現さまにお願いしたら、「日が暮れてから翌朝鶏が鳴くまでの間に下の鳥居から神殿の前まで百段の石段を造れ、そうしたらお前の願いを許してやる。然しできなかったらお前を食い殺すぞ」 と云われた。権現さまは一夜で築くことはできまいと思って無理難題を申しつけたのですが鬼は人間が食べたい一心で西叡山に夕日が落ちるて暗くなると山から石探して運び石段を築きはじめました。

真夜中頃になると神殿の近くで鬼が石を運んで築く音が聞こえるので権現さまは不審に思い神殿の扉を開いて石段を数えてみるともう九十九段を築いて、下の方から鬼が最後の百段目の石をかついで登って来る。権現さまはこれは大変と、かわいい里の人間が食われてしまう、何とかしなければと、お考えになり声高らかに、コケコウーロと鶏の声をまねられたら、これを聞いた鬼はおわてて「夜明けの鶏が鳴いた、もう夜明けか、わしはこのままでは権現さまに食われてしまう、逃げよう」と最後の石をかついだまま夢中で山の中を走り、一里半(6キロ)ほど走ってやっと平地に出ましたが、息がきれて苦しいので、かついだ石を放ったら石が立ったまま倒れないので、そこを立石(速見郡山香町)と呼ぶようになった。

鬼はそのまま倒れて息絶えた。これを聞いた里人たちは、これで安心して日暮らが出来る。これも権現さまのおかげと、岩に彫んだ大日さまのお加護であると朝夕感謝するようになった。

===熊野磨崖仏パンフレットより===

(写真をクリックすると大きくなります)===大日如来像===

大日如来像は、高さ約6.7メートルの半身像。高さ約8メートルのくぼみ(龕(がん))の中に彫り出されています。螺髪等の造形的特徴から、不動明王像よりも制作年代が下ると推定されている。通常の大日如来像は菩薩形(髻を結い、装身具を着ける)に造形されるが、本像は頭髪を螺髪としており、本来の像名は不明である。重要文化財指定名称は「如来形像」となっています。

(写真をクリックすると大きくなります)===不動明王像===

不動明王像は、高さ約8メートルの半身像。比較的軟らかく加工しやすい岩壁に刻まれており風化が進行しているため、不動明王像ではあるが憤怒の相は現さず、口元に柔和な笑みを浮かべているようにも見える。左右両脇には高さ約3メートルの矜羯羅童子、制多迦童子像の痕跡が認められる。