今日はです

光岡城 (城跡) ⑪2008年06月15日 10時57分30秒

櫓台についての説明板 (クリックすると大きくなります)

光岡城 (城跡) ⑫2008年06月15日 11時07分22秒

虎口部

光岡城 (城跡) ⑬2008年06月15日 11時12分32秒

板堀跡地 中央木陰付近

光岡城 (城跡) ⑭2008年06月15日 11時18分14秒

この上に物見台が建てられていた。

光岡城 (城跡) ⑮2008年06月15日 11時26分20秒


光岡城 (城跡) ⑮2008年06月15日 11時26分20秒

城跡 今は綺麗に整備され又ステージ等も完備している、家族ずれが多くこられるようです。駐車場完備 無料

豊前 国分寺 三重塔 ①2008年06月24日 09時20分59秒

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天平勝宝8年(756年)、筑後・肥前・肥後・豊前・豊後・日向等26国の国分寺に「仏事荘厳具の下賜」がされ、このころまでに豊前国分寺では主要な建物が完成したと考えられています。その後、平安時代にかけて盛んに活動を続けていた諸国の国分寺も、鎌倉時代以降多くが衰退していきました。しかし、豊前国分寺は平安時代に天台宗の勢力下に入り、鎌倉・室町時代にもかわらず法灯をともし続けていました。そして、天正年間(1573年~1592年)初期に戦国大名大友氏の戦火にあい、主要建物は全て焼失したと伝えられています。
 その後、天正年間中にはいち早く同地に草庵が建てられ、本尊薬師如来が造仏安置されました。本格的な再建は、江戸時代以降小笠原藩の援助を受けて当時の歴代住職の努力によって進みました。
 現在敷地に残る建物のうち本堂は寛文6年(1666年)、鐘楼門は貞享元年(1684年)に建立されたものです。なお、国分僧寺の敷地は昭和51年(1976年)に国の史跡に指定されています。

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豊前 国分寺 三重塔 ②2008年06月24日 09時25分06秒

豊前国分寺 案内板

豊前 国分寺 三重塔 ③2008年06月24日 09時30分41秒

豊前国分寺山門その奥に鐘楼門と本堂

豊前 国分寺 三重塔 ④2008年06月24日 09時40分53秒

現在敷地に残る建物のうち本堂は寛文6年(1666年)、鐘楼門は貞享元年(1684年)に建立されたものです。
なお、国分僧寺の敷地は昭和51年(1976年)に国の史跡に指定されています。