今日は2025年7月21日(月曜日)です

松尾城跡 (小石原) ①2008年12月02日 08時23分18秒

(click..play) (写真をクリックすると大きくなります) ===松尾城跡現地説明板===
戦国時代、秋月氏の家臣であったと考えられる宝珠山、山城守の居城と伝えられている。慶長五年(1600年)に黒田長政が関ヶ原の戦いの功により、豊前中津から筑前に入国、慶長六年には、領内に六つの端城を設けた。松尾城は、中間統胤が城主となる。その後、松尾城は元和元年(1615)年、幕府の一国一城令により取り壊される。 主郭部は、二段に造成され、石垣や土塁で周りを囲ってあり、下段の西側には、幅4mほどの虎口(出入り口)がある。主郭内には三間X五間(二棟)と一間X一間(一棟)の礎石建物跡や、東部には櫓台がある。主郭北斜面には畝状竪堀13本、東側の尾根には堀切が三本造られて、中世と近世の城郭を持つ山城である。

戦国時代、秋月氏の家臣であったと考えられる宝珠山、山城守の居城と伝えられている。慶長五年(1600年)に黒田長政が関ヶ原の戦いの功により、豊前中津から筑前に入国、慶長六年には、領内に六つの端城を設けた。松尾城は、中間統胤が城主となる。その後、松尾城は元和元年(1615)年、幕府の一国一城令により取り壊される。 主郭部は、二段に造成され、石垣や土塁で周りを囲ってあり、下段の西側には、幅4mほどの虎口(出入り口)がある。主郭内には三間X五間(二棟)と一間X一間(一棟)の礎石建物跡や、東部には櫓台がある。主郭北斜面には畝状竪堀13本、東側の尾根には堀切が三本造られて、中世と近世の城郭を持つ山城である。
===現地説明板より===

松尾城跡 (小石原) ②2008年12月02日 08時29分53秒

(click..play) (写真をクリックすると大きくなります)
畝状竪堀=== 斜面に垂直に掘られた竪堀と、竪土塁を連続して配置 した堀。敵兵の集団行動を阻害した。 堀切===尾根方向に直行して設けた堀。敵にとって最も安易な尾根からの進入を防ぐためのもの。 横矢掛け===城壁に追った敵兵に対して側面から攻撃するために石垣などを突き出した部分。
畝状竪堀=== 斜面に垂直に掘られた竪堀と、竪土塁を連続して配置 した堀。敵兵の集団行動を阻害した。 堀切===尾根方向に直行して設けた堀。敵にとって最も安易な尾根からの進入を防ぐためのもの。 横矢掛け===城壁に追った敵兵に対して側面から攻撃するために石垣などを突き出した部分。
===現地説明板より===

松尾城跡 (小石原) ③2008年12月02日 08時31分34秒

(写真をクリックすると大きくなります)==松尾城主郭石垣と横矢掛け石垣(右側)==
石垣には横矢掛けが設けられていたことがわかり、戦闘的な城で、防衛の要所であったことが読みとれます。
石垣には横矢掛けが設けられていたことがわかり、戦闘的な城で、防衛の要所であったことが読みとれます。

松尾城跡 (小石原) ④2008年12月02日 08時33分28秒

(click..play) (写真をクリックすると大きくなります)==松尾城[虎口=こぐち]石垣==
虎口は城郭、あるいは曲輪の正面開口に当たり、城内の軍勢にとっての出入口であると同時に、城攻めの際には寄せ手が肉薄する攻防の要所となるため厳重に防御される。古くは開口に木戸等の門を設け、両脇に櫓を建てて攻め手に備えるなど簡易なものであったが、戦国期に著しい発展を遂げ、城の縄張りの重要要素となっていった。
虎口は城郭、あるいは曲輪の正面開口に当たり、城内の軍勢にとっての出入口であると同時に、城攻めの際には寄せ手が肉薄する攻防の要所となるため厳重に防御される。古くは開口に木戸等の門を設け、両脇に櫓を建てて攻め手に備えるなど簡易なものであったが、戦国期に著しい発展を遂げ、城の縄張りの重要要素となっていった。

松尾城跡 (小石原) ⑤2008年12月02日 08時35分04秒

(写真をクリックすると大きくなります) ==松尾城南側石垣==
全周160mの総石垣づくりの城であったことが平成11年の発掘調査で判明した。石垣には城壁から敵を攻撃するための横矢掛けなどが残されています。
全周160mの総石垣づくりの城であったことが平成11年の発掘調査で判明した。石垣には城壁から敵を攻撃するための横矢掛けなどが残されています。

松尾城跡 (小石原) ⑥2008年12月02日 08時36分49秒

       (写真をクリックすると大きくなります)
松尾城主郭下段部手前側及び主郭上段部には礎石は楕円や方形の扁平な花崗岩が主に使われていたようです。
松尾城主郭下段部手前側及び主郭上段部には礎石は楕円や方形の扁平な花崗岩が主に使われていたようです。

松尾城跡 (小石原) ⑦2008年12月02日 08時38分45秒

(写真をクリックすると大きくなります)==松尾城櫓台から見る堀切==
谷からの敵の侵入を防ぐために設けられた畝状竪堀の跡が今も確認できる。

松尾城跡 (小石原) ⑧2008年12月02日 08時40分08秒

       (写真をクリックすると大きくなります)
   ==松尾城北側石垣と堀切== 白く見えるのは霜です。

松尾城跡 (小石原) ⑨2008年12月02日 08時41分52秒

(写真をクリックすると大きくなります)==松尾城虎口付近から小石原を望む==
松尾城は、旧小石原小学校の裏手の標高513m の松尾山の山頂にあります。ここからの眺めは小石原村の町並みが一望できます。
松尾城は、旧小石原小学校の裏手の標高513m の松尾山の山頂にあります。ここからの眺めは小石原村の町並みが一望できます。

松尾城跡 (小石原) ⑩2008年12月02日 08時43分24秒

(写真をクリックすると大きくなります)==松尾城北側畝状堀切及び石垣== 白くなっているのは霜です。
敵の攻撃を阻止するために斜面に添って縦方向に堀と土塁 を畝状に並べた畝状竪堀が13 本、堀切と呼ばれる尾根に直交して設けた堀が3 本現存している。現在保存整備が行われている。
敵の攻撃を阻止するために斜面に添って縦方向に堀と土塁 を畝状に並べた畝状竪堀が13 本、堀切と呼ばれる尾根に直交して設けた堀が3 本現存している。現在保存整備が行われている。