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松尾城跡 (小石原) ① ― 2008年12月02日 08時23分18秒
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===松尾城跡現地説明板===
戦国時代、秋月氏の家臣であったと考えられる宝珠山、山城守の居城と伝えられている。慶長五年(1600年)に黒田長政が関ヶ原の戦いの功により、豊前中津から筑前に入国、慶長六年には、領内に六つの端城を設けた。松尾城は、中間統胤が城主となる。その後、松尾城は元和元年(1615)年、幕府の一国一城令により取り壊される。 主郭部は、二段に造成され、石垣や土塁で周りを囲ってあり、下段の西側には、幅4mほどの虎口(出入り口)がある。主郭内には三間X五間(二棟)と一間X一間(一棟)の礎石建物跡や、東部には櫓台がある。主郭北斜面には畝状竪堀13本、東側の尾根には堀切が三本造られて、中世と近世の城郭を持つ山城である。
===現地説明板より===
戦国時代、秋月氏の家臣であったと考えられる宝珠山、山城守の居城と伝えられている。慶長五年(1600年)に黒田長政が関ヶ原の戦いの功により、豊前中津から筑前に入国、慶長六年には、領内に六つの端城を設けた。松尾城は、中間統胤が城主となる。その後、松尾城は元和元年(1615)年、幕府の一国一城令により取り壊される。 主郭部は、二段に造成され、石垣や土塁で周りを囲ってあり、下段の西側には、幅4mほどの虎口(出入り口)がある。主郭内には三間X五間(二棟)と一間X一間(一棟)の礎石建物跡や、東部には櫓台がある。主郭北斜面には畝状竪堀13本、東側の尾根には堀切が三本造られて、中世と近世の城郭を持つ山城である。
===現地説明板より===
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