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日向 綾 城 (宮崎県)2013年09月01日 06時02分18秒

名  称 : 綾城 (あやじょう) 別 名 : 龍尾城

築城年間 :  元弘年間(1331年~1334年創築)

築城者 : 細川小四郎義門(ほそかわこしろうよしかど) 

   

主な改修者 : 細川氏、伊東氏、島津氏

城 主 :  細川氏、伊東氏、島津氏

形 式 :  平山城

所在地 : 宮崎県東諸県郡綾町大字北俣

(写真をクリックすると大きくなります)===綾城遠望===
(写真をクリックすると大きくなります)===綾城城門===


日向 綾城 (龍尾城)

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綾城のはじまりは、今からおよそ660年前の元弘年間(1331年~1334年)足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門がこの地方に下向を命ぜられ、その子義遠が収納使として綾を領有し、綾に山城を構え、綾氏と称したころと考えられています。

綾氏は数代城主としてこの地方を治めていましたが、室町時代八代将軍義政のころ、都於郡城を根拠として日向の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となりました。したがって、綾城も伊東氏48城の一つとなり島津氏と戦う伊東方の重要な役割を果たしました。

その後江戸時代の一国一城制度により廃止されるまでの二百七十余年、綾城は日向の国の山城のまもりとして、現在の綾城は昭和60年春日本城郭協会に中世山城の築城について考察を依頼し、数次の調査に基づいた考察により想定され、戦国初期城楼建造物として構築されました。

===現地綾城石碑より===
(写真をクリックすると大きくなります)===冠木門綾城正面===
(写真をクリックすると大きくなります)===綾城左側面望楼===

天守閣には望楼型天守と層塔型天守があります。この綾城天守は望楼(見張り台)から発展したものと考えられています。望楼を入母屋造り(いりもやづくり)の屋根の上に載せ、防御力と攻撃力を高めた建造物が天守の源流であると言われています。

(写真をクリックすると大きくなります)===望楼から観る冠木門と土橋===

この綾城は木造であり、主柱は栂の75cm角材が使用されるなど当時を想わせる重厚な風格があります。綾城の規模は基礎 縦20m 横24m 構造 木造2層物見櫓付き  地上からの高さ19mで、城内は綾の歩みを知ることができる歴史資料館となっています。また 展示品は、多くの国の重要文化財に指定されている名刀を作った刀工、田中國廣作の名刀やその弟子、出羽大掾國路などの名刀の他、鎧甲などが展示されています。

(写真をクリックすると大きくなります)===綾城望楼からの綾の町並み===