ようこそ! あなたは アクセスカウンター 番目のお客様です
今日はです

東行庵の紅葉(山口県)2014年11月14日 13時13分47秒

所在地 ⇒ 山口県下関市吉田1184

名 称 ⇒ 東行庵 (とうぎょうあん) 建築年間⇒明治17年(1884年)

(写真をクリックすると大きくなります)

東行庵、 この地は清水山と称し、幕末の頃、奇兵隊軍監、山縣狂介(有朋)は、麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。慶応三年(1867年)四月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠地に近いこの地に葬つた。晋作に仕えていた愛人、うの(後に谷梅処)は黒髪を断つて出家したので、山縣は明治二年(1869年)無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。

(写真をクリックすると大きくなります)===東行庵===

現在の庵は明治十七年伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士の寄付により建立されたもので、梅処は明治四十二年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。昭和四十一年東行の百年祭を機に庵の原型をとどめるため大修理を行った。

===現地説明板より===
(写真をクリックすると大きくなります)

高杉晋作(号「東行」(とうぎょう))の愛人おうのは、晋作の死後、尼となって(谷梅処(たにばいしょ)と改名)、その墓を守り菩提(ぼだい)をとむらうようになりました。  はじめは山形有朋(やまがたありとも)が住んでいた吉田の無隣庵(むりんあん)を僧堂にあてていましたが、明治17年に山形有朋・伊藤博文・井上馨(かおる)らの寄付によって、無隣庵の隣接地に、現在の東行庵が建立されました。  早春は梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉の名所として知られています。

(写真をクリックすると大きくなります)===高杉晋作像===

この銅像は、平成26年3月に新しく建立された高杉晋作の銅像です。 ・・・・・・台座には内閣総理大臣 安部晋三 と記されています。

昨年、平成25年は、高杉晋作が下関に登場し、奇兵隊を創設した文久3年6月から数えて、150年の年でした。今年は、四か国連合艦隊が関門海峡に襲来し、高杉晋作は和平交渉での活躍から150年。その後、倒幕を目指し、藩論統一のために長府功山寺で、維新回天へ向け挙兵。慶応2年(1866年)は病中にありながらも小倉戦争を指揮し、次の年、慶応3年(1867年)に維新を目前にその命を燃え尽くしました。そして没後150周年、明治維新150年と佳節の年を迎えました。

(写真をクリックすると大きくなります)
(写真をクリックすると大きくなります)