今日はです

香山公園 ①2008年07月30日 12時05分11秒

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香山公園案内図
瑠璃光寺の周辺一帯を整備した公園。園内には、幕末に毛利敬親が茶事にことよせて藩士と討幕の策を練ったといわれる露山堂[ろざんどう]や、薩長連合の志士が集った沈流亭[ちんりゅうてい]、明治時代以降の毛利家墓所、瑠璃光寺資料館(料金:300円、時間:9~17時、無休、のようです。

香山公園 ②2008年07月30日 12時15分48秒

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              露山堂説明板

香山公園 ③2008年07月30日 12時21分21秒

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                   露山堂
この建物は香山公園内にあり、毛利敬親が藩庁を山口に移鎮した際、今の県庁内の一露山の麓に建てられた茶室で、藩主敬親が茶事にことよせ、家来らと討幕の密議をこらした建物で、明治24年にここに移築されました。

香山公園 ④2008年07月30日 12時26分28秒

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香山墓苑説明板

香山公園 ⑤2008年07月30日 12時31分52秒

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               うぐいす張り石畳
うぐいす張りの石畳と呼ばれるところで、この場所で手を強く叩いたり、強く足踏みをすると、キュッ キュッ」というような美しい音色が返ってきます。近くにある紹介パネルには、このうぐいす張りの石畳は前方の石垣や石段等に反響して美しい音色を出すものと思われますと書かれていました。

香山公園 ⑥2008年07月30日 12時36分24秒

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大内弘世公之像

香山公園 ⑦2008年07月30日 12時41分47秒

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瑠璃光寺本堂(瑠璃光寺パンフレットより引用)
開山は石屋門派の知識大庵須益大和尚、中国三山の一つといわれ、江戸末期まで、僧禄司(そうろくす)の要職を務め、常恒会16ヵ寺の中に入る格式を与えられていた。
 天正4年(1586)毛利元就次男吉川元春(岩国城主)が小倉で逝去した時、瑠璃光寺11代華翁和尚が、その導師となり寺を霊牌所とし「随浪院殿海翁正恵大居士」の法号により、海翁寺と号した。当時300余の末寺があった為、のち藩の了承を得、瑠璃光寺に復号した。寺紋は吉川氏の意向により定紋九曜紋に改められた。九州に於ける布教活動は3世から始まり、特に15世中華桂法大和尚は、島原の乱後、幕府の承認を得、東光寺を建て、天草全土を布教したといわれている。

香山公園 ⑧2008年07月30日 12時47分17秒

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勅撰銅碑 毛利敬親の功績を伝えるため明治天皇の勅命で建立された。

香山公園 ⑨2008年07月30日 12時55分51秒

瑠璃光寺五重塔遠望

洞春寺 ①2008年07月30日 13時08分43秒

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 洞春寺山門説明板