今日はです
香山公園 ① ― 2008年07月30日 12時05分11秒
香山公園 ② ― 2008年07月30日 12時15分48秒
香山公園 ③ ― 2008年07月30日 12時21分21秒
香山公園 ④ ― 2008年07月30日 12時26分28秒
香山公園 ⑤ ― 2008年07月30日 12時31分52秒
香山公園 ⑥ ― 2008年07月30日 12時36分24秒
香山公園 ⑦ ― 2008年07月30日 12時41分47秒
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瑠璃光寺本堂(瑠璃光寺パンフレットより引用)
開山は石屋門派の知識大庵須益大和尚、中国三山の一つといわれ、江戸末期まで、僧禄司(そうろくす)の要職を務め、常恒会16ヵ寺の中に入る格式を与えられていた。
天正4年(1586)毛利元就次男吉川元春(岩国城主)が小倉で逝去した時、瑠璃光寺11代華翁和尚が、その導師となり寺を霊牌所とし「随浪院殿海翁正恵大居士」の法号により、海翁寺と号した。当時300余の末寺があった為、のち藩の了承を得、瑠璃光寺に復号した。寺紋は吉川氏の意向により定紋九曜紋に改められた。九州に於ける布教活動は3世から始まり、特に15世中華桂法大和尚は、島原の乱後、幕府の承認を得、東光寺を建て、天草全土を布教したといわれている。
瑠璃光寺本堂(瑠璃光寺パンフレットより引用)
開山は石屋門派の知識大庵須益大和尚、中国三山の一つといわれ、江戸末期まで、僧禄司(そうろくす)の要職を務め、常恒会16ヵ寺の中に入る格式を与えられていた。
天正4年(1586)毛利元就次男吉川元春(岩国城主)が小倉で逝去した時、瑠璃光寺11代華翁和尚が、その導師となり寺を霊牌所とし「随浪院殿海翁正恵大居士」の法号により、海翁寺と号した。当時300余の末寺があった為、のち藩の了承を得、瑠璃光寺に復号した。寺紋は吉川氏の意向により定紋九曜紋に改められた。九州に於ける布教活動は3世から始まり、特に15世中華桂法大和尚は、島原の乱後、幕府の承認を得、東光寺を建て、天草全土を布教したといわれている。
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