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勝山御殿跡(山口県下関市)①2010年04月03日 06時06分13秒

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===勝山御殿跡説明板===
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◇◇◇勝山御殿のなりたち、下関市には、幕末期の激動を背景とした遺跡が数多くあります。なかでも、「勝山御殿跡」は当時の姿を今に伝える貴重な歴史遺産です。勝山御殿は、1863年(文久3年)6月28日から長府藩が築城を開始した城郭で、翌年の1864年(元冶元年)2月1日には、第十三代藩主毛利元周が長府から移りました。「勝山御殿」という呼称は、藩命によるものです。当時の記録によれば、「勝山ノ営」「勝山陣屋」などとも呼ばれていましたが、その構造はむしろ城郭というべきもので、最終期の近世城郭として全国的にも重要な遺跡です。長府藩では海峡で開始された攘夷戦に対処するため、ここ田倉村に勝山御殿を築き、海沿いにあった長府の居館から藩主を移居させて防衛戦略上の拠点とし、幕末の難局を乗り切りました。勝山御殿跡は、幕末の歴史を語るうえで大切な遺跡といえます。勝山御殿跡を保存・活用したここ勝山地区公園は、地区住民の文化財に対する深い理解と熱心なまちずくり活動により、文化の薫り高い公園として整備することができました。 2010年 下関市。 ◇◇◇

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(写真をクリックすると大きくなります)593x783===勝山御殿跡説明板より===

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