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日向 高鍋城 (宮崎県)2015年08月29日 15時26分25秒

名  称 : 高鍋城 (たかなべじょう) 別 名 : 舞鶴城・財部城

築城年間 :  斉衡年間(854年~857年)

築城者  : 柏木左衛門尉 (かしわぎさえもんのじょう)   

歴代城主 :   柏木、土持、伊東、島津、秋月.

形 式 :  平山城

所在地 : 宮崎県児湯郡高鍋町小路

(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸石垣===

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高鍋城は、古くは財部城と呼ばれ、築城年代は定かでないが柏木左衛門尉によって築城され、その後財部土持氏の居城であった。長禄元年、土持景綱が、都於郡城主、伊東祐堯と戦って敗れて滅亡、財部城は伊東氏の持城となり、家臣落合民部少輔が城主となった。天正6年、伊東氏は島津氏に敗れ、島津氏家臣川上忠智が城主となった。

天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、筑前秋月城主秋月種実が日向串間へと移封になり、財部城は秋月氏の持城となった。その後、慶長9年、秋月種長は財部城へ居城を移し、慶長12年より財部城を三層天守を持つ近世城郭へと改修、三代種信の時にも大改修を行い、この時財部を「高鍋」へと改称した。以後、明治まで秋月氏2万7000石の居城として明治に至りました。

(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸に続く石段===

二の丸から石段の登城道を登ると、広々とした本丸へたどり着きます。本丸には御殿跡の礎石が所々に残されていて、本丸御殿の案内板がありました。

(写真をクリックすると大きくなります)===高鍋城説明板===

高鍋城本丸、奥御殿は第三代藩主、種信公の延宝四年(1676年)に完成した。長峰御門(本丸北側)を過ぎると本丸の玄関があり、玄関を上がると藩主の集まる大広間がある。

その他藩主が藩臣とお逢いになる御書院、家老や奉行が藩政をとりおこなう家老所、奉行所などがあった。奥御殿が完成すると同時に藩主は二の丸の仮住居から転居され本格的な藩政の充実と発展に向かって邁進なされた。

===現地説明版より===

(写真をクリックすると大きくなります)本丸政庁・奥御殿跡===

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