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久留米城 別称笹山城 ①2008年07月24日 10時39分23秒

久留米城跡説明板 (クリックすると大きくなります) 概要
久留米城は筑後川の中流に臨む丘陵を利用して、永正年間(1504~1521)に土豪により創築され、笹原城といわれた。近世城郭となったのは、天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定後に入部した毛利秀包によるといわれ、関が原合戦後は、田中吉政の支城となり、田中家の断絶後は有馬豊氏が21万6千石で入り、大改修をして、明治にいたった。この城は、丘陵部の本丸に花崗岩の高石垣をめぐらしていた。往時は天守こそ無かったが、7ヶ所に三重櫓を設け、これを二重の多門櫓で連結するという堅固なものであったようです、今は本丸跡に笹山神社の社屋が建っていてこの中に城主有馬氏の記念館がある。又境内の高垣からの眺望は最高です、すぐ横には久留米大学病院が有りここの駐機場にはドクターヘリが配備されいつでも緊急出動できるようになっているようです。デジカメに撮ってきました。

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