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石坂石畳道(大分県日田)2010年03月19日 17時44分39秒

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===石坂石畳道===
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◇◇◇大字花月字坂ノ下(市ノ瀬町)から字石坂を経て字坂の辻(現伏木町)に至る間を山腹の斜面を経って全長約1260mにわたる石畳の坂道の登り口です。◇◇◇

大字花月字坂ノ下(市ノ瀬町)から字石坂を経て字坂の辻(現伏木町)に至る間を山腹の斜面を経って全長約1260mにわたる石畳の坂道の登り口です。
(写真をクリックすると大きくなります)800x600===石坂石畳道説明板===
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◇◇◇この石坂石畳道、この道は市ノ瀬から伏木峠の間の急坂にひかれた石畳の道で、全部で十六箇所の曲折をつけながら1.260メートルの距離を上って行く。約2.2メートルの道幅のうち、中央部分には堅い切石を敷き、その左右には山の自然石を敷く。勾配は七度から十度で、急な所は馬や牛の歩行を考えて二、三歩進んでは一段上るようにゆるい段差をつけるなどの工夫がされている。この石坂は、日田から中津へ通じる主要道路の一つで、当時は交通も頻繁であった。しかし、岩や石の露出した難路であったため、嘉永三年(1850年)隈町の掛屋、京屋作兵衛(山田常良)は、周防(山口県)の石工に依頼し築道を行なわせ、通行人の便宜をはかった。道路完成の翌年には市ノ瀬村の庄屋の依頼で、広瀬淡窓が石坂改修の由来を漢文で撰し、隈町森昌明の書で記念碑が建てられた。これが国道のすぐ上にある「石坂修冶碑」である。と、このように石坂石畳説明板に記されています。◇◇◇

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◇◇◇石坂石畳道◇◇◇

この道は市ノ瀬から伏木峠の間の急坂にひかれた石畳の道で、全部で十六箇所の曲折をつけながら1.260メートルの距離を上って行く。約2.2メートルの道幅のうち、中央部分には堅い切石を敷き、その左右には山の自然石を敷く。勾配は七度から十度で、急な所は馬や牛の歩行を考えて二、三歩進んでは一段上るようにゆるい段差をつけるなどの工夫がされている。この石坂は、日田から中津へ通じる主要道路の一つで、当時は交通も頻繁であった。しかし、岩や石の露出した難路であったため、嘉永三年(1850年)隈町の掛屋、京屋作兵衛(山田常良)は、周防(山口県)の石工に依頼し築道を行なわせ、通行人の便宜をはかった。道路完成の翌年には市ノ瀬村の庄屋の依頼で、広瀬淡窓が石坂改修の由来を漢文で撰し、隈町森昌明の書で記念碑が建てられた。これが国道のすぐ上にある「石坂修冶碑」である。

===石坂石畳道説明板より===


(写真をクリックすると大きくなります)800x600===石坂石畳道===
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◇◇◇約2.2メートルの道幅のうち、中央部分には堅い切石を敷き、その左右には山の自然石を敷く。勾配は七度から十度で、急な所は馬や牛の歩行を考えて二、三歩進んでは一段上るようにゆるい段差をつけるなどの工夫がされています。◇◇◇

約2.2メートルの道幅のうち、中央部分には堅い切石を敷き、その左右には山の自然石を敷く。勾配は七度から十度で、急な所は馬や牛の歩行を考えて二、三歩進んでは一段上るようにゆるい段差をつけるなどの工夫がされています。

(写真をクリックすると大きくなります)800x600===石坂石畳道===
この石坂畳道の勾配は約七度から十度といわれています。次の曲折部の所まで続きます。
(写真をクリックすると大きくなります)800x600===石坂石畳道===
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◇◇◇約十六箇所の曲折をつけ、道幅は約2.16mあり中央部分には約96センチのやや堅い切石が敷かれその左右の外側にはそれぞれ60センチ幅でこの山の自然石を敷きつめています。また石坂石畳道に接する石垣にはこの山の自然石を使用しています。◇◇◇

約十六箇所の曲折をつけ、道幅は約2.16mあり中央部分には約96センチのやや堅い切石が敷かれその左右の外側にはそれぞれ60センチ幅でこの山の自然石を敷きつめています。また石坂石畳道に接する石垣にはこの山の自然石を使用しています。


◇所在地◇大分県日田市大字花月字坂ノ下