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豊後 杵築城 ⑥ ― 2008年09月01日 14時51分58秒
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杵築城絵図
沿 革 杵築市は和銅6年(約1200年前)の豊後風土記によると、八坂郷と安岐の一部を包含していた。城下町形成の始めは、鎌倉時代に八坂郷木付の庄に、大友氏の一族大友親重[入部してから木付氏に改めた。約700年前]が鴨川に竹の尾城を築いたが、145年後の応永元年、四代木付頼直に至り、今の城山公園に築城して移った。それから、約180年後の文禄2年に、木付氏も宗家大友氏の滅亡の時、殉死して終わりを告げた。爾来50年間は前田、杉原、早川、細川、小笠原の諸侯が相次いで居城したが正保2年松平英親が豊後高田から転封されるに及び、明治4年の廃藩置県まで約230年、松平氏による泰平の世が続きました。
杵築城絵図
沿 革 杵築市は和銅6年(約1200年前)の豊後風土記によると、八坂郷と安岐の一部を包含していた。城下町形成の始めは、鎌倉時代に八坂郷木付の庄に、大友氏の一族大友親重[入部してから木付氏に改めた。約700年前]が鴨川に竹の尾城を築いたが、145年後の応永元年、四代木付頼直に至り、今の城山公園に築城して移った。それから、約180年後の文禄2年に、木付氏も宗家大友氏の滅亡の時、殉死して終わりを告げた。爾来50年間は前田、杉原、早川、細川、小笠原の諸侯が相次いで居城したが正保2年松平英親が豊後高田から転封されるに及び、明治4年の廃藩置県まで約230年、松平氏による泰平の世が続きました。
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