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肥後 佐敷城跡(熊本県)2010年09月23日 18時46分09秒

(写真をクリックすると大きくなります)===佐敷城跡入り口===
(C) Script by ja4chu

◇佐敷城は、16世紀後半に肥後の国(現在の熊本県)を治めた加藤清正が薩摩の国(現在の鹿児島県)や球磨、天草地方へつながる交通の要であった佐敷に築かれた近世城郭で、城山(87.3m)と呼ばれる丘陵一帯を城域とし、山上からは不知火海や天草諸島、城下町、薩摩街道の難所である佐敷太郎峠を一望できます。肥後国境を守る「境目の城」であり、島津軍とは二度、直接戦火を交え、これらの戦いにまつわる言い伝えは葦北郡一帯に残っています。大阪夏の陣で豊臣家が滅んだ元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となり壊されますが、寛永十五年(1638年)、天草、島原の乱終結直後にも江戸幕府から「壊し方が不十分」と指摘され再度壊されたことが、古文書や発掘調査等により確認されました。城は、山上にある本丸、二の丸、三の丸が総石垣造りで構成され、石垣は石材や積み方の違いなどから三時期に分けられ、築造技術の進歩を一体的に確認することができます。また、石垣隅角部や石段を念入りに壊すなど、「城の壊し方」の痕跡が確認されています。発掘調査では、戦乱の無い時代の到来を願った天下泰平国土安穏銘鬼瓦や豊臣政権との深い関係を示す桐紋入鬼瓦、文禄、慶長の役に際し朝鮮半島から連れてきた職人が作ったと考えられる瓦等、当時の社会情勢を示す遺物が出土しました。また、本丸周辺からは、お酒を飲む杯(かわらけ)とともに魚の骨や貝殻が出土し、宴会を楽しむ人たちの姿を想像することができます。このように佐敷城跡は、石垣築造技術の進歩や一国一城令による破壊の実態等、近世初頭頃の政治、軍事を知るうえで重要な遺跡であるとして、国史跡に指定されました。

所在地: 熊本県葦北郡芦北町佐敷

遺  構: 曲輪、石垣、堀切

形 式 : 山城    築城者: 佐敷氏   築城年式: 南北朝時代


(写真をクリックすると大きくなります)===佐敷城跡全景絵図===
(写真をクリックすると大きくなります)===佐敷城跡縄張り図===
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佐敷城は、16世紀後半に肥後の国(現在の熊本県)を治めた加藤清正が薩摩の国(現在の鹿児島県)や球磨、天草地方へつながる交通の要であった佐敷に築かれた近世城郭で、城山(87.3m)と呼ばれる丘陵一帯を城域とし、山上からは不知火海や天草諸島、城下町、薩摩街道の難所である佐敷太郎峠を一望できます。肥後国境を守る「境目の城」であり、島津軍とは二度、直接戦火を交え、これらの戦いにまつわる言い伝えは葦北郡一帯に残っています。大阪夏の陣で豊臣家が滅んだ元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となり壊されますが、寛永十五年(1638年)、天草、島原の乱終結直後にも江戸幕府から「壊し方が不十分」と指摘され再度壊されたことが、古文書や発掘調査等により確認されました。城は、山上にある本丸、二の丸、三の丸が総石垣造りで構成され、石垣は石材や積み方の違いなどから三時期に分けられ、築造技術の進歩を一体的に確認することができます。また、石垣隅角部や石段を念入りに壊すなど、「城の壊し方」の痕跡が確認されています。発掘調査では、戦乱の無い時代の到来を願った天下泰平国土安穏銘鬼瓦や豊臣政権との深い関係を示す桐紋入鬼瓦、文禄、慶長の役に際し朝鮮半島から連れてきた職人が作ったと考えられる瓦等、当時の社会情勢を示す遺物が出土しました。また、本丸周辺からは、お酒を飲む杯(かわらけ)とともに魚の骨や貝殻が出土し、宴会を楽しむ人たちの姿を想像することができます。このように佐敷城跡は、石垣築造技術の進歩や一国一城令による破壊の実態等、近世初頭頃の政治、軍事を知るうえで重要な遺跡であるとして、国史跡に指定されました。


===現地説明板より===
(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸東門石垣===
(写真をクリックすると大きくなります)===本丸東門跡石垣===
(写真をクリックすると大きくなります)===追手門跡石垣===
(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸跡から本丸跡石垣===
(C) Script by ja4chu

◇「見張り番」の城だったことからも分かるように、佐敷港や人吉方面に続く山々をここから見渡すことができます。またこの佐敷城発掘の際には、東側追手門跡から「天下泰平国土安穏」の銘のある鬼瓦が完全な形で発見され、西側から出土した桐紋鬼瓦からは佐敷城が豊臣秀吉の重要な要塞の一つであったことがうかがえます。これら発掘品は平成10年3月に県重要文化財に指定されています。 

「見張り番」の城だったことからも分かるように、佐敷港や人吉方面に続く山々をここから見渡すことができます。またこの佐敷城発掘の際には、東側追手門跡から「天下泰平国土安穏」の銘のある鬼瓦が完全な形で発見され、西側から出土した桐紋鬼瓦からは佐敷城が豊臣秀吉の重要な要塞の一つであったことがうかがえます。これら発掘品は平成10年3月に県重要文化財に指定されています。

(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸東門枡形虎口跡石垣===

虎口は城郭、あるいは曲輪の正面開口に当たり、城内の軍勢にとっての出入口であると同時に、城攻めの際には寄せ手が肉薄する攻防の要所となるため厳重に防御される。古くは開口に木戸等の門を設け、両脇に櫓を建てて攻め手に備えるなど簡易なものであったが、戦国期に著しい発展を遂げ、城の縄張の重要要素となっていった。

(写真をクリックすると大きくなります)===三の丸跡から二の丸跡石垣===
(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸から見る三の丸跡===
(写真をクリックすると大きくなります)===本丸跡にある堀切===

この堀切は東側と西側に延び大手門口(城の表門)と搦め手門口(城の裏門)につながっています。

(写真をクリックすると大きくなります)===大手口跡と枡形虎口===

枡形虎口とは、二つの城門にはさまれた所が、方形の空間になっており、最初の門と次の門に至る間に左または右に直角に折れて城内に入るものである。.

(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸搦め手門跡石垣===
(写真をクリックすると大きくなります)===二の丸から本丸への虎口===
(写真をクリックすると大きくなります)===本丸跡から二の丸枡形虎口跡石垣===

この本丸跡からの眺望は最高です。佐敷川に挟まれて、漆喰塗篭の土蔵造の民家、町家群、寺院などで構成された伝統的たたずまいを持つ町並みがある。旧薩摩往還沿いの新町、上町、本町には、土蔵造を混じえた町家が軒を接して建ち並び、のこぎり家並みや短冊形地割が見られます。

(写真をクリックすると大きくなります)===本丸跡から佐敷の町並み===

佐敷港や人吉方面に続く山々をここから見渡すことができます。真下は佐敷川河口付近の町並み。

(写真をクリックすると大きくなります)===天下泰平 銘の鬼瓦===
(C) Script by ja4chu

◇加藤清正の重臣・加藤与左衛門重次がここの城代を務めた。築城は天正17年(1588年)ごろであろう。文禄元年(1592年)豊臣秀吉の命令で朝鮮半島に出陣(文禄の役)したすきをつかれ、薩摩の梅北国兼に一時乗っ取られる事件(梅北の乱)が起こった。慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いに関連して、島津軍に包囲される事件が起こった。この後大改築が行なわれ、本格的な近世城の姿になった。城の破壊は、元和元年(1615年)、幕府の一国一城令によるが、寛永14年(1637年)に起こった天草・島原の乱の後にも石垣が壊された。発掘調査で石垣の下部が確認され、桐紋の鬼瓦や「天下泰平」銘の鬼瓦など貴重な遺物が出土している。出土された「天下泰平国土安隠」の銘のある鬼瓦は、築城の際、戦乱が治まるようにという願いを込めたとものといわれています。===現地説明板より===

加藤清正の重臣・加藤与左衛門重次がここの城代を務めた。築城は天正17年(1588年)ごろであろう。文禄元年(1592年)豊臣秀吉の命令で朝鮮半島に出陣(文禄の役)したすきをつかれ、薩摩の梅北国兼に一時乗っ取られる事件(梅北の乱)が起こった。

慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いに関連して、島津軍に包囲される事件が起こった。この後大改築が行なわれ、本格的な近世城の姿になった。

城の破壊は、元和元年(1615年)、幕府の一国一城令によるが、寛永14年(1637年)に起こった天草・島原の乱の後にも石垣が壊された。

発掘調査で石垣の下部が確認され、桐紋の鬼瓦や「天下泰平」銘の鬼瓦など貴重な遺物が出土している。

出土された「天下泰平国土安隠」の銘のある鬼瓦は、築城の際、戦乱が治まるようにという願いを込めたとものといわれています。

===現地説明板より===

(写真をクリックすると大きくなります)===桐紋の鬼瓦===

この佐敷城発掘の際には、東側追手門跡から「天下泰平国土安穏」の銘のある鬼瓦が完全な形で発見され、西側から出土した桐紋鬼瓦からは佐敷城が豊臣秀吉の重要な要塞の一つであったことがうかがえます。( 七七桐紋入り鬼瓦(豊臣家の紋)

(写真をクリックすると大きくなります)===鯱(しゃち) 瓦=== この鯱瓦は佐敷城発掘の際に出土した瓦です。非常にユーモラスな形をした鯱瓦で、歴史的価値の高いものです。

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