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萩城跡 北の総門(山口県)2012年07月17日 18時19分00秒

(写真をクリックすると大きくなります)===北の総門===

所在地: 山口県萩市堀内

名 称:北の総門 (復元)

構造形式:脇戸付高麗門・切妻造・本瓦葺

規 模:高さ約7m. 柱間約5.9m

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この北の総門は、三の丸(堀内)の入り口である総門の一つです。総門は北、中、平安古の三ヶ所があり、あわせて「大手三つの門」と呼ばれました。昼間は門番が常駐して出入りする者を監視し、夜は門を閉じて鑑札を持った者しか通れませんでした。元文年間(1739年~40年)の絵図によると、北、中の総門の前に、新たに枡形と南北の船着場が描かれています。枡形と土橋には土塀が巡り、船着場に続く箇所は食い違いになっています。この時期に北、中の総門周辺が再整備されたことがうかがえます。

(写真をクリックすると大きくなります)===北の総門===
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脇戸付きの切妻造り本瓦葺き、柱間約5.9m、高さ7mの日本最大級の高麗門です。平成16年11月に、「萩開府400年」を記念して復元されました。本柱や「冠木(かぶき)」と呼ばれる横材などは、欅(けやき)の巨木を使って復元されています。 その後、総門脇の土塁や船着場などが整備され、外堀に架かるものとしては全国唯一となる土塀付き土橋も整備され、土塀には白漆喰(しろしっくい)仕上げが施され、平成23年度に萩城跡外堀保存整備が完了しました。

(写真をクリックすると大きくなります)===南側船着場と外掘土橋上、漆喰土塀===

萩城跡外堀は、城下町と萩城三の丸(堀内)を分ける堀で、堀幅は江戸時代の初めには20間(約40m)でしたが、堀端に町屋が作られて14間(約28m)、8間(約16m)と狭くなりました。また外堀に架かる土橋上の土塀は、白漆喰で綺麗に仕上げられています。

(写真をクリックすると大きくなります)===南側外掘===