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宇土城 ②2008年09月12日 08時51分52秒

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          宇土城本丸跡に立つ小西行長像
天正16年(1588)、肥後一揆勃発による佐々成政の後を受けて、小西行長は宇土・益城・八代・天草を拝領し14万6300石の大名として宇土に入部した。宇土には戦国時代に宇土氏、次いで名和氏が居城を構えていたが、行長は宇土に入部すると名和氏の城(宇土古城)が手狭であったため、その東の小丘に新城を築き、新城を中心に城下町を建設した。また、支配体制を整えるためにに領内の隈庄城(城南町)、木山城(益城)、岩尾・愛藤城(矢部町)、麦島城(八代市)を支城とし城代を置いた。 しかし、関ヶ原合戦で西軍につき敗れ、行長は捕らえられて斬首された。 合戦後、宇土城は肥後一国の領主となった加藤清正のものとなり城代が置かれたが、慶長16年(1611)清正が没すると、翌17年幕府の命令で宇土城は破却された。

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