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宇土城 ①2008年09月12日 08時45分54秒

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               現地案内板
天正16年・1588年・九州征伐を終えた豊臣秀吉は肥後北半国を加藤清正に与えると同時に、肥後南半国24万石を小西行長に与えました。 小西行長は鎌倉時代末期に宇土氏によって築かれた、宇土古城に入城したが、翌天正17年1589年・宇土古城の東の地に新たな城の築城を開始しました。行長は築城に際して、天草地方の諸豪族に城普請の手伝いを命じたが反抗されたため、加藤清正と連合して天草征伐を行い、その後、本格的な築城にとりかかりました。この城が宇土城である。 宇土城はキリシタン大名の小西行長が築いただけに、南蛮技術も取り入れた重厚な城郭であった。

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