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天草 富岡城 ⑦2008年09月14日 16時46分36秒

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この富岡城二の丸石垣と白土塀白がとても綺麗に映えます、ここ二の丸石垣は戸田忠昌支配の寛文10年1670年に、当地に城は必要ないということで富岡城は破城されました。町では、富岡城の復元整備の際、西側の石垣部分で三重の石垣が発掘され、寺沢氏、山崎氏の築いた石垣を確認しました。一番奥の石垣が寺沢氏の築いた石垣で、一揆軍との攻防戦の跡が石垣表面に残っております。二番目の石垣は、この石垣を隠すむために急造されたものらしく、途中で壊れたと考えられます。手前の石垣は、天草・島原の乱後の領主である山崎氏が城の修復を行った際に築いたものです。このように、富岡城の石垣は三重の構造となっており、その時代の歴史を垣間見ることができる大変貴重なものです。

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